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ソフトウェアから考える脳モデル ~ブレインアーキテクチャを読んで~

以下の文章は学校の課題で書いた読書感想文です。



脳は進化による身体の変化に適応し、常に中枢として役割を果たしている。また、同一個体内でも道具による「感覚の拡張」などによって変化に適応できる。私は脳の適応力が構造に起因していると考えている。そして、これは変化に強いという点でソフトウェアアーキテクチャの目標の一つと等しい。その目標が開放/閉鎖原則である。マーチンのクリーンアーキテクチャやデカルトの心身二元論を考えるとビジネスロジックであるクオリアに対して知性や本能、器官、道具が外部からインターフェースを介して挿入されているのが良い構造となる。この仮説をもとに東京大学出版会の『ブレインアーキテクチャ』でラリー・スワンソンが提唱している脳モデルを論じる

スワンソンの脳モデルはカハールの物をもとにしており、感覚系や認識系、行動状態系が運動系を制御している。系の関係が明晰であり、簡潔な脳モデルである。運動系は筋肉の操作を担っている。これによって脳から運動の技術的詳細を隠蔽でき、系への行動パターンの入力と筋細胞への出力がより明瞭になっている。ここで本書にある運動ニューロンプールが活きる。これはある筋肉細胞群を従属的に支配し、脳とその筋肉部位を仲介する。これにより行動パターンと筋細胞との関心の分離に成功している。この様なインターフェースは脳ー筋肉間だけでなく、あらゆる通信部で見られるだろう。行動状態系は昼行性、夜行性など身体内の状態を管理することから種特有のプログラムが存在すると考えられる。また、マーチンの安定度依存の原則よりほかの系から深く依存されるべきではない。感覚系は感覚の受容と反射運動の生成を行う。感覚は行動状態系や認識系も参照する。デルメルの法則より感覚の受容と反射運動の生成は分離するべきだろう。認識系は情報の統合と随意運動の生成を担う。統合される情報はほかの系にも参照される。前菜利用の原則から情報の統合と随意運動の生成も分離するべきだろう。そして、感覚の受容を行う感覚器は脳の外部サービスであるため情報の統合が感覚器と脳のインターフェースになると考えられる。

さて、スワンソンの脳モデルにはビジネスロジックである意識が含まれていない。随意運動がそれにあたると考えるかもしれないがリベットの実験、選択盲、ACIDの独立性、心身二元論を考えると随意運動、あるいは知性と意識は異なり、知性が選択した結果や注意し感覚器が受容した感覚、体内の状態などを意識が受容し、神経アルゴリズムが発火することでクオリアが生まれているのではないだろうか。

ファウラーとルイスのマイクロサービスアーキテクチャから脳の機能は各脳の部位がそれぞれ責務を負っているべきだ。大脳皮質ー基底核ループより大脳皮質で情報の統合、大脳基底核で情報の選択と感覚意識体験、大脳皮質ー基底核ループの動機、視床で多次元データのワーキングメモリを担うと考えた。大脳基底核の責務が多いように思えるが複数の部位がまとまっているためである。線条体が情報の選択、直接路と間接路が大脳皮質ー基底核ループの動機を担っている。そして、これらの影響を受ける淡蒼球内接、黒質網様体が意識のスコープではないだろうか。また、脊髄を通る遠心性繊維から運動系に入力される行動パターンが大脳皮質で作られる「値型」と小脳に保存されている「参照型」が存在することがわかる。二進数の行動パターンデータをスイッチングすることで運動ニューロンプールのデータにフォーマットしているのではないだろうか。

スワンソンは多角的な視点で脳モデルを考えた。これは偉大なことだ。しかし、ソフトウェアの視点から改善点を見つけた。スワンソンの脳モデルをもとに新しい脳モデルを提案してこの文を締めたいと思う。

感覚器で受容したデータを大脳皮質が統合し、反射運動を生成する感覚系、次の行動を選択する認識系に渡す。行動状態系が体内の状態をもとに認識系に作用し、認識系はそれをもとに行動を選択する。選択した結果を意識に渡し、ここで感覚意識体験が生まれる。選択した行動パターンは二進数のデータであり大脳皮質で直接生成する場合と小脳や脳幹に保存されているデータにアクセスする場合がある。

「我思う、故に我在り」には「我」を錯覚させている知性と「我」を見ている意識の二つの側面がある。犬の知性の所在である大脳皮質を私の意識の所在である大脳基底核に接続した時、「私」は「我」が犬であることを信じて疑わないだろう。

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