ライブハウス、ステージで唄う理由と意味。守りたい場所と人。音の世界で生きてゆく。
今日はわたしの原点、
ライブハウスへ行ってきた日のこと。
沢山の感情をもらえたので
みんなに知って欲しい、聞いて欲しい
長くなるけれども
最後まで読んでもらえたら嬉しいです。
音楽と生きてきた人生。
闘うこと決めた日。
未来は自分自身で決める。
これからもずっと。
10月9日(土)in 梅田Zeela
「つぼロック!miracle★ナイトvol.4」
に行ってきました。
UNION☆JACKのライブも
がもよんフェスも来てくれていて
本当に何十年も初期の頃から
今まで応援してくれてる
主催者のつぼつぼさん。
初年度から毎年誘ってくれるのに
どうしても都合がつかず
まだ出れてないのが悔しいですが
せめても、顔をだすだけですが
続けてくれる限り、必ず出れると思ってます。
去年はファニスカも
配信ライブで出演していたのを
配信ライブから見させてもらってました♪
ちょうさん誘って連れていくと
二人ともサプライズ!と喜んでもらえて
本当によかったなぁ☺︎
THE SALA主催の
PLACEのメンバーが集結!ってことで
なんだかんだこの2年間
去年は配信ライブがほとんどだったし
色んなライブハウスにいくことは少なかったり
有観客が少なかったのもあって
久々のライブハウスは
やっぱり良いなー!って思ってました。
昔、長堀橋WAXXというライブハウスの立ち上げで
ブッキングをしていたおさやさんですが
その時の現場で一緒だった照明のきららちゃん
今はベースオントップに入社してジーラで働いてて
声かけてくれた!数年振りの再会、うれしい。
Campanillaのらっきょとももちゃん☺︎
2月のがもよんフェス降りだっ!
今年まだ2回目なんだけど
なんだかすごく久々な気さえしてしまう。
どうしてだろう・・・
この日、実はなかなか仕事に追われていて
昼間にふと『あ、ジーラ行きたい!顔だそう!』と思って
ライブの時間が気になり聞いた時間は
セイラが20時から、カンパニラが19時20分から
果たして間に合うのかっ!?自問自答。
頑張ってちょっとでも切り上げていこうと思った。
そして、いざライブ始まったくらいに到着
途中からやけどカンパニラの曲を聞けた。
その時に感じたこと「何に悩んでいたんだろう?」
もしこの瞬間、仕事していたら見えなかった景色と感情。
あぁ、そうか私には音楽が必要なんだ。
そう感じることができた瞬間でした。
そんな心に寄り添ってくれるような
ウタを届けてくれるふたりが好きだ。
Campanillaのライブを見ながら
がもよんフェスの2/28最終日
スタジオギアのライブとりで出演してくれた時
あの日に号泣していた自分を思い出した。
この日のモモちゃんの言葉、
今もずっと残ってる大切な贈り物。
一個のイベントやるのってめっちゃ大変やねん
それに対して命をかけてる人がおって、
それに対してすごい時間を使ってる人がいるっていうこと
絶対に忘れんで見てて欲しい。
こうゆう状況だから伝えたいことがあるんだっていうのとか
こうゆう状況だからやりたいことがあるんだっていうのとか
沢山の気持ちがこもったイベント、1週間やったということ
みんなで一生懸命、戦っていこうぜ!また会おうぜ!
5年間このイベントを続けてきたこと
そして、オンラインの開催を決めた今年。
そこにかける体力や時間や想い全てを
こうやって伝えてくれる人がいる、わかってくれる人がいる
それだけでわたしは幸せだ、ありがとう。
バンドやってきた20代
飲食店を始めた30代
シェアハウスやゲストハウスに出逢って
地域と人を繋ぐことを仕事にして
色んなことをしてきたようにも見えるけど
全部繋がってるんだ、ずっとこれからも変わらない。
わたしの人生の集大成
生きてる証、それが
”がもよんフェス”なのかもしれない。
懐かしいわたしの前のブログ。
GAMO4fes.2015から
立ち上げの期のことだったり
大切な日はSNSじゃなくて
こうして振り返れるように残してきた。
後半は公式のブログができたけど
こうしてリンクで過去を振り返れるのって
やっぱり良いなぁって思う。
わたしが生きてきた遍歴、
ちゃんとこれからも残っていくんだ。
2011年3月11日
東日本大震災がおこった。
津波によって昔ツアーで行った場所も
打ち上げでBBQをした公園も流された
仲間の大切な場所が失われた。
茨城県日立市から始まった
震災復興を願い地元バンドマンが作った
無料チャリティーフェス【PLACE】
2012年300人
2013年700人
2014年4000人
2015年7000人
2016年4000人
2017年9000人
2018年10000人
こんな風に経歴を見れば
言葉なんていらないだろう。
そして私がこのイベントに初めて行った
2014年は、鐘の音の協賛として
クラファン支援しようとしたんだけどね
「そのお金を交通費にして手伝いにきてよ」
ってゆってくれたのが始まりでした。
その後、翌年にわたしも
がもよんフェスをが立ち上がって
2015年にはSALAも
蒲生四丁目にきてくれて
お互いの場所でお互いの町を
守り続けてきました。
そしてやってきたPLACE2019に
念願のバンドとしての出演!!!!!
UNION☆JACKが
また茨城県に帰ることが出来た日。
この日の想いも
ブログにまとめてます📝
再会や出逢いが沢山あって
高校生の頃にUNION☆JACK聞いてました!
って声もらったりもして
音楽をやめなかったから
また会えた人達がいたことに感動。
また絶対この場所でうたいたい!
そう思っていた翌年、コロナウイルスの発生。
2020年はオンラインで
ドキュメント映像として
ライブ映像とメッセージで
出演させてもらいました
それだけでも大切な場所に
関われたことが嬉しい。
そして、今年は10周年でした
開催を決めたけれど延期になってしまった
苦渋の決断だったんだろうなぁ。
がもよんフェスも
去年と今年の合併という形で
オンラインで開催したけれど
やっぱりオフラインで会いたいよ
来年こそ!どっちも有観客でやろう!
それが一番の望みだなぁ☺︎
2年振りのTHE SALAのライブを見て
2年前のPLACEを思い出したんだ。
そして、前身バンドの頃からの出逢い
UNION☆JACKと初めてあったのはきっと
もう14年とか経つんだろうなぁ。
東名阪だけでなく
西は福岡県から、東は宮城県まで
本当に全国沢山の場所でライブを共にして
ツアーやツーマンもしたり
ずっとずっと音楽の世界で戦ってきたんだ。
それはきっと勝ち負けとかじゃなくて
ライブハウスという場所の中で
切磋琢磨やってきたという意味でもあるし
大切な仲間を増やしてきたんだ。
なかむーの言葉や、えみこの言葉が
沢山突き刺さってくる。
本当によく言われる言葉
「メジャーデビュー目指してるの?」
「売れたらいいよね」
そんなありふれたセリフは聞き飽きたし
目指す場所はそこじゃないんだ。
ライブハウスやちいさなフェスでもそう
目の前の人との関係性を大切にしたライブがしたい
1万人の人に聞いてもらうよりも
1千万人でも100万人でも関わりたいし
1000人の人の心を動かしたいし
100人が泣いてくれて泣いてくれたらそれでいいし
1人でも生きる気力を与えられること。
そんな1対1のコミュニケーションを
大切にしたくて、お店をやりだしたんだ。
バンドをやめないことを選んだんだ。
売れる売れないなんて誰が決めたんだろう
下積みの期間を経て、フリーターをしながら
音楽でお金をもらって食ってきたバンド時代も
今だってそう、誰かのために歌って生かされてるんだ
それでいいじゃないか。答えはシンプルだ。
コロナ禍の中で
ライブハウスは沢山叩かれて
やめていった仲間たちや
潰れていった箱があって
人と会うことが悪だとされた
果たして本当にそうなんだろうか?
音楽で救われて
人から救われて
そんな日常があったから
今、命を燃えせる人がいる。
わたしはそんな場所をつくりたい
バンドだって続けるし
がもよんフェスだって続けるし
鐘の音、シェアハウス、
そしてゲストハウスをつくって
地域と人が全国各地から繋がっていける
コミュニティを創ってゆく。
コロナなんかに負けない
恐るな、進め。
先のことだって大事だけど
今を生きろ、命を絶やすな。
みんなが心を失わないために
わたしは人と会うことをやめない。
泣いた。あの日を思い出して
何度だって泣けるんだろうなぁ。
君は泣いたことがあるかい?
幸せで嬉しくて泣いたことがあるかい?
そんな場所に出逢ってほしい。
そんな場所を創っていくから。
この町を愛してる
この仲間たちを愛してる
違う場所で、違う想いで
同じ未来や、同じ愛情を
これからも届けていこう☺︎
親愛なる仲間、THE SALAへ...
青空の下、太陽の中で
大地と自然を感じながら
ステージでみんなの前でうたうこと
マスクがいらない世界に
元通りの世の中に
必ずやってくるよ
そのときにまたあの場所で会おう。
大切なウタを唄いたい
大切な言葉を伝えたい
しがつついたち。が教えてくれた
弱さと強さ。痛みを知ったみんなは
もっともっと笑えるはずだよ☺︎
そうだ、わたしはやっぱり
バンドマンなんだなぁって思った日でした。
カンパニラのステージを見て
セイラのステージを見て
久々に思った感情があった。
「あぁ、勝てないなぁ」
みんな違ってみんな良いと思ってきた私
あまり悔しいとかいう感覚はなくって
ただ周りが言うように
”良いライブを見たら負けたくないと思う”
そんな感情を改めて芽生えた日だった。
そう思えたことが
”まだまだ私はアーティストなんだな”
って感じられた瞬間でした
表現者であることを気づかせてくれた
あの日、あの時
また今日が作りたくなった
自分の言葉で自分の曲で自分のウタが歌いたい。
2019年にまた動き出した、
わたしたちUNION☆JACKの秒針
そして、同じように活動してきた
funnySkashとの歴史が重なった時。
君彩〜キミドリ〜が生まれた去年
まだみんなの前で歌えてない曲がある
その日まで、変わらない想いを...
さぁ、今度はカワセミフェスの番だ!
音楽の恩返し。音返しをします。
一週間後、10月16日は
ファニスカの20周年をお祝いしよう
新しい伝説が始まる。
モノクロのまま仕舞い込んでた
本当が色を帯びていく
雨上がり空に輝かぬとも
雨降りの中に見つけた七色
捨てきれなかった想い
この日に虹がかかりますように☺︎