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ミュージカル「ラブ・ネバー・ダイ」鑑賞記録
日生劇場「ラブ・ネバー・ダイ」の感想noteです。
徒然と書き始めたらずいぶん長文になってしまった。
それというのも公演がめちゃくちゃ良かったから……!
なんせ初見なので記憶がおぼろげなところもあるけれど、以下ネタバレありです。
私が観た2025年1月25日(土)マチネのキャストはこちら。
![](https://assets.st-note.com/img/1737876165-qIsQZrGT5jiKBe3v2wnEmDPC.jpg?width=1200)
劇場
初めての日生劇場、まずエスカレーターがあることにビビる。
私がよく行く東京文化会館はエスカレーターどころかエレベーターすらないというのに。
席は2階2列目センターでとても良い席。
競争を勝ち抜いて友人がとってくれた。感謝!
千鳥配置ではないのに段差がしっかりあるので見やすかった。
バレエも日生劇場でやってほしい。だめか?
開幕
チューニングも指揮者への拍手もなく、わりと唐突に音楽が鳴りだして驚いたのも束の間、ファントムの左手薬指に光るあれはクリスティーヌが突き返した指輪では!?と気付いて物語に一気に引き込まれる。
この公演が私にとっては初・正親でした。
友人の最推しとしてずっと話を聞いていた存在をついに見られて嬉しかった。
(そしてその友人の影響で不遜にも名前を呼び捨てにしている。共通の友達みんなそう。教育の賜物。)
劇団四季「オペラ座の怪人」の初代ファントムだった彼を、続編でファントムとして見られるのも胸熱。
私は歴史的公演を観ている……!とテンション上がる。
舞台セット
全編通して豪華絢爛でした。
日生劇場でしかやれないというのも納得の豪華さ。
足場や橋のように見えるセットが上下に動くし床もぐるぐるまわる。
2階席だからバミリがよく見えたのだけど、その細かさたるや。
立ち位置間違うと役者同士が衝突しそうだし、大道具の移動も大変だろうな。
ファントムの仮面を模したアーチも面白い。
ちなみにミスターYのイニシャルはどこから来てるの?と友人に訊いたら、Mister Y=ミステリーだと教えてもらった。
舞台セットをちゃんと見れば確かにMISTER Y's FANTASMAと書いてあった。なるほど。
ファンタズマ
メグがファンタズマに出演するシーンはずっと、メグ〜!可愛いよ〜!!と心の中でうちわを振っていました。
最初のメイクは目の下のラインストーンがきらきら光ってとても似合ってた。可愛い。
前作の「マスカレード」ポジションにあたるメロディも好き。
冒頭でクマと一緒に出てきた海賊風の女の子は、マスカレードのときのメグの衣裳に似てたけど違うかな。
メグとマダムの最初の会話では、メグが春をひさいできたことが暗示されて辛かった。
渡米し、生活基盤をつくるうえでファントムのために犠牲にならざるを得なかったメグがファントムの評価に固執する≒自分の存在意義を託してしまう流れは、現代を生きる私にも容易に想像できる。
前作「オペラ座の怪人」での無邪気な様子のメグが念頭にあったから余計、明るく振る舞う変わらない彼女と傷つけられて変わってしまった彼女の両方をまざまざと見せつけられた。ううう……メグ……。
小南メグ、すごく雄弁なお芝居で好きでした。
ホテル
そしてラウル・加藤和樹。
こちらも高校生の頃にCDを貸してもらったことがあって歌声が良いのは知っていたので、ついに拝見できて嬉しい。
ラウルはクリスティーヌやグスタフに対して荒れていたけれど、そのあと正気に返り「自分が悪い」と述べていた。
クズはクズでもまともな瞬間もあるクズらしい。
今でもクリスティーヌを大切に想っているのは伝わったし、グスタフにも謝るように寄り添っていた。
荒れたあと優しくなるのってDV野郎の典型だと知ってはいるけど、加藤ラウルはなんだかそういう風に思えなかった。
前作ではすぐ突っ走ってしまうところが青くさくて感情移入できなかったけど、10年後のラウルはすごく人間くさくて、同情の余地が充分にある気がする。
というか顔と声が良すぎて、それだけで肩をもってしまいたくなる。
しょうがない、だって加藤和樹だから。
ファントム再登場
そして鏡から再登場するファントム。じゃじゃーん。
心のなかで、よっ!ファントム!待ってました~!と掛け声した。
「オペラ座の怪人」でも鏡が入口だったはず、こういう前作のセルフオマージュが楽しい。
神出鬼没なところも変わってない。
服はチャイナボタンがあしらってあってtanakadaisuke風。
あとグスタフを人質にとってクリスティーヌを脅迫するところもいい。
よっ!それでこそファントム!犯罪をいとわない男〜!!と心のなかで喝采した。
ファントムは10年経ったのに本当に変わってないのね。
成長してると思えたのはクリスティーヌにべたべた触れるようになってたことくらいかな。
ワンナイトで調子に乗る男、ファントム。
そんなファントムを睨みつけるクリスティーヌが美しすぎて震えた。
クリスティーヌの真意
ホテルでのクリスティーヌとファントムのデュエットで、二人はほんとうに愛し合っていたんだと分かる。
クリスティーヌがファントムに抱いた愛って、師弟愛とか慈悲とか芸術を分かち合う同志の絆のようなものの可能性もあるよなって思ってたんだけど、そうではないらしい。少なくともラブネバでは。
じゃあ前作ではなんでラウルと結ばれた?って疑問も出てくる。
私は本作を観ている間、クリスティーヌのことが分からなくてずっと戸惑っていた気がする。
クリスティーヌが二重人格者でない限り、「オペラ座の怪人」以後にファントムへの愛を自覚したパターンなのかなあ。
真実の愛の分別がつかない少女だったから、一度はラウルを選ぶという過ちをおかしてしまったのかも。
少女じゃなくても、多少世間を知っていれば誰だって狂人より幼馴染みの子爵を選ぶよね。
この選択は仕方なかったのでは。
で、気付いたときにはファントムの訃報に接し時すでに遅し。
さずかった命を育てるために子爵夫人になるしかなかったのは当時の社会を考えれば分かる。
クリスティーヌにとってのラウルは、最愛の父親の想い出を分かち合える特別な存在ではあったのかもしれないな。
10年連れ添って情はあるし、グスタフの出自について騙してきた後ろめたさもある。でも、それだけ。
ラウルが求める愛はクリスティーヌから得られなかった。
そう思うとラウルがアルコールに逃げたのも仕方ないと思えてくる。ラウル、不憫。
再会
クリスティーヌとメグの再会も悲しかった。
メグが再会を喜ぶ姿は天真爛漫に見える一方で、人に囲まれるクリスティーヌとの対比で際立つ惨めさ、役を奪われた戸惑いもあって複雑。
それでもクリスティーヌに温かく接していて、メグ、あなたどれだけいい子なの……。
マダム・ジリーは前作からあまり変わりがなくて安心する。
グスタフとファントム
グスタフに対してファントムが「歌え!私のために!」と言うところ、うわーきたー!!とテンション上がった。
前作のメロディを使っている箇所はだいたいどのパートも前作の場面を想起させられて、感情がぶわーっと押し寄せてくる装置になってる。見事。そして楽しい。
ファントムに応えるグスタフのボーイソプラノもすごい。
そのあとの2人のロックデュエットはめちゃくちゃ楽しかった。
ここでロック来るのか〜!という新鮮な驚き。
ファントムの音楽センスが前衛的であることがすごく分かりやすい。
1幕最後にマダム・ジリー(そこから出てくるんかい!)が出てきて激昂していたけど、あれは現代にもありふれてる相続問題だよなあ。そりゃマダムも怒るよ。
でもそこでクリスティーヌしか目に入ってないのがファントムなのだよな。
酒場
休憩を挟んで2幕、酒場の場面は加藤ラウルの「ウゥ……」ってうめき声から始まった。
完全にへべれけのうめき声で、酔っぱらいの演技がうまい。拍手。
加藤ラウルは色気が漏れているので酔っぱらっていてもどこか格好良さが残っている。
ラウルはアルコールに依存してギャンブルにも手を出すけど、女性関係の話は出てこなかったので、そのへんはクリスティーヌ一筋だったのかなと思うと憎めない。
そのあとの「負ければ地獄」の歌もすごく良かった。
加藤和樹は別作品でファントムを演じている、つまり初代ファントムとアナザーファントムの対決だ。エモい。
私はこれが観たかったんだ!
しかしファントム、1幕最後でグスタフにすべてを遺そうと言っていたから今までの禍根は水に流すのかと思ったけど、早速ラウルに喧嘩売ってて笑ってしまった。
それとこれとは話が別らしい。
あなた本当に変わってないのね。
ファントムにグスタフの出自をバラされて、ラウルは「嘘だ!」と叫ぶけれど、本当は気づいていたんじゃないかと思う。クリスティーヌの気持ちも含めて。
それをアルコールに頼って直視しないようにして、クリスティーヌとグスタフを(ときに荒ぶるとはいえ)愛し続けたラウル、一周まわって健気じゃないか。
それにしても加藤和樹って2次元畑の人という印象があったのだけど、2.5次元以外のミュージカルにも馴染んでいるなーと思う。
演技も歌も上手くて、それでいて作品のなかに良い意味で溶け込んでいるのがさすがでした。
水着の美女
ファンタズマ再び。
ほぼほぼバーレスクの演目で、メグはどこまで変わってしまうんだろうと怖くなる。
でも歌っている間はきゃぴきゃぴで、ウィンクまでしていて、アイドルのようにも見える。
私の「オペラ座の怪人」初見時は五所真理子さんがメグを演じていて、そのときの無邪気な表情に目を奪われた。
だから今回もついメグをオペラグラスで追ってしまったのだけど、10年前と比べると無邪気さは削られて“そう見せている”感じがあって、良くも悪くも「ショー」の舞台に染まってた。
メグはパリ・オペラ座からアメリカ・ファンタズマに拠点を移した変化を体現している存在なんだな。
ファントムがいなければ、オペラ座で無邪気なまま過ごせただろうに。
善人の彼女が変わらざるを得なかったことがやるせない。
愛は死なず
楽屋でのファントムの神出鬼没具合には笑ってしまった。
よっ!ファントム!!
こういう、えっそこから出てくるの!?ってサプライズ楽しい。
そのあとのクリスティーヌの独唱シーンは得も言われぬ美しさ。
笹本さんはきらきら眩い衣裳に全然負けていなかった。
最初こそ歌は美空ひばり風だな、舞台セットは紅白並だな、とか頭にちらついたのだけど、笹本クリスティーヌがぐんと強い引力で物語の中に引っ張ってくれた。
クリスティーヌを真ん中にして、両端にファントムとラウルが立っている構図も良い。
ラウルが立ち去る前に「クリスティーヌ、クリスティーヌ」って前作の旋律で呼ぶところ、万感の想いがのっていてとても切なかった。
ここは特に心揺さぶられた部分。ラウル……。
ラスト
メリーゴーランドのシーンは舞台美術が最高でした。Bravo!!
そのあとは怒涛の展開。
上演時間が正味2時間と短めなのもあるけど、展開が早くて濃密であっという間。
メグは狂気をはらんだ演技が迫真だった。
震えているのに笑いを含んでいる声がすごく痛々しい。
それを宥めようとするファントムが普通の人間らしく見えるほど。
クリスティーヌが死を迎える瞬間の笹本さんは神々しいほどに美しかった。
ファントムの慟哭もつらい。一気によぼよぼしちゃって。
正親なのかファントムなのか、どこからが演技でどこまでが役者本人なのか分からない。
これがファントムとともに生きてきた役者のなせる業なのかなあ。
グスタフが寄り添うけれど、ファントムの手は彼に触れようとして止まっていた。
あなた本当に変わってないのね……。
ラウルはクリスティーヌのこめかみあたりに口づけていて、それが絵画のように美しいシーンだった。
一つの愛を貫いた男2人が残ってクリスティーヌが死ぬ理由は、悲劇の発端を作ってしまった(真実の愛に気付かずラウルを選んだ)報いなのかもと考えるのが今のところ一番しっくりくる。
心のままに生きたファントムは生きて、心の声に気づけず一度間違ってしまったクリスティーヌは死す。
たかが一度の選択ミスの代償が重すぎると思うけれども、これは相手が悪かった。ファントムだから仕方ない。
その後
観劇後に友人たちと感想会をして教えてもらったのは、原作でグスタフはファントムについていき、2人で慈善活動をしていくこと。
ラウルは一人でどうなったんだろう。クリスティーヌの墓守?
メグはあんなに再会を喜んだ友達を死なせてしまったこと、すごく悔いると思う。良い子だから。
報われてほしいけど、どう報われるのが正解なのか分からない。
修道女になるとかかなあ。
いっそラウルは復讐に生きて、メグを追いかける続編をつくってほしい。
若かりし頃の正義感を取り戻した元クズvs殺人を犯してしまった善人。
2人ともファントムに振り回された犠牲者でもあり、ファンタズマの舞台裏や酒場で会ったときはかなり親しそうに見えたし、エピソードが追加されてもおかしくないと思う。
で、決着がつかないまま年老いて、「オペラ座の怪人」冒頭オークション場面に繋がるの。
そうだったら!いいのにな!
このあたりまで書いたことで公演を観て嵐状態だった気持ちがだいぶ凪ぎました。
気持ちが凪ぐまでに5000字使っている。こわい。
全体的にラブネバは前作より登場人物が減っていて、各登場人物の心情描写が丁寧だったなあと思う。
感情移入できるかはまた別なんですけれども。
それぞれへの理解が深まったとともに戸惑いも大きい作品だった。
私はメグ・ジリー寄りだったけれど、誰の視点に寄り添って物語を見ればいいのかも難しい。
大人は全員道を外れているから、最後の良心としてグスタフの果たす役割がとても大きく、救いでもあったな。
これから「オペラ座の怪人」を観る目も変わりそう。
また観に行きたいし、それでもう一回ラブネバを観たい。
調べたらロイド=ウェバー自身が「どちらも交互に観れば、それらを、そのどちらからもストーリーをより理解することができるだろう」(Wikipediaより)と言っていて、まんまと術中にハマっている。
それからそれから、加藤和樹さんがもっと歳を重ねて、ラブネバのファントム役をやってくれたらすごく素敵だなあと思っています。