娘として私にはいったい、何ができるのだろう
年々実家に帰るのが憂鬱になっている。私自身が親と不仲というわけではないのだが、実家が営んでいる商売が色々な複合的要因であまり上手くいっていないので、両親は現在家庭内別居状態にある。私は話を聞く以外どうすることもできず、父は悲しんでいて、母は父を呪っていて、帰るたびに悲しくなる。
関東に比べると私の住んでいる街は元気がなく、人も少ない。改めて上京して思ったが、いま日本の中で一番人が多くて仕事もたくさんあって産業がたくさん産まれて再開発も盛んなのは関東(正確には東京23区およびその近郊)だけだ。いくら関西を盛り上げよう!ビバ大阪万博!といっても関東のパワーにはとてもではないが敵わない。集まる人も、金も、モノも全てが違う。ネット全盛期にその認識は古いよ、と言われるかもしれない。でも、肌感覚では東京とほかの地方とでは見える世界が違うように思える。
だから、自分が生まれ育った故郷が寂れている様子を見るのはとても悲しい。関東の建物や電車は全てが新しくて、きれいで、何もかもが活力にあふれているように見えるが、地元の建物はローカル特有のどこかさびれた感じがそこかしこに見えて、それがそのまま街のパワー(税収)に思える。まったりといえば聞こえはいいが、産業がないとはこういうことなのだなと実感する。東京のように「高スペックの人が足りていない」がゆえの人手不足なのではなく、文字通りの人手不足なのだろうな、と推察される。
だから帰省するのは二重に憂鬱だ。親に対しても、地元に対しても何もできなくて、無力感だけが募る。悲しくて、自分の家に戻ってくると泣いてしまう。誰も見ていないところでないと、泣けない。涙が出るまでに時間がかかる体質だから、それまでに心因性の腹痛が起こって、苦しむ。こらえきれなくて、涙が出るとやっと楽になる。そして、私は自分の気持ちに気が付く。
・両親の不仲の理由
主にコミュニケーションの問題だ。結婚した時からずっと積み重なって、二人で店を経営することになって、とどめが刺された。とにかく昔から性格が合わない。
二人は海外で出会ったが、母は「外国で会ったから結婚しただけで、もし日本で父と出会っていたら絶対に結婚はしていない」と言っていて、これは相当だと思う(笑)。小さい頃はお父さんとお母さんは、どうして仲良くなれないのだろう、とかどうしてうちはお父さんが優しくて、お母さんが強いのだろう、とずっと疑問に思っていた。私が育った昭和の時代はまだまだ専業主婦の家庭が主流で、妻は夫に従い、家を守り、仕事は片手間で、家族には優しく柔和で…という家庭が多かったと思う。母はそんな時代に少数派というか自分で店舗を経営し、商売を営んでいた。なので自分も性別に関係なく女性も働くものだ、とナチュラルに考えていた(そんな自分が巡り巡って主婦をしているというのは不思議なものですが…)。
私も長じて家庭を持った。子どもが独立して数年経ち、父主導で店舗を経営することになって今まで向き合わなくてよかった夫婦の問題が噴出してきたのだと思う。それまで父と母はそれぞれ仕事を持っていて、完全に独立した世界を生きていた。だから表面上は問題が起こらなかった。姉と私という子どもはいるが実態はDinksのようなものだったと思う。しかし今回父が店舗を構え、共同で仕事をするようになり嫌でもやりとりが産まれてくる中で、母はそれが相当にストレスだったようだ。店舗経営へのモチベーションはどんどん下がり、私や父や姉へのひどい言動が目立つようになってきた。私は実家に帰っても気持ちが休まらないことが増えてきた。それでも父と母は夫婦なのだし最低限食事は一緒に取って、家族として生活はしているのだろうなとは思っていた。全く違っていた。
・子どもとしてできること
私は前向きな離婚であれば別に反対はしないので、もし離婚ということになってしまっても、父と母がお互い相談し、年金など入念に財産分割の手続きを行った上で離婚するならそれはそれで仕方がないと思っている。ただ年齢が年齢なので、正直あまり独居はしてもらいたくないのと、体裁的にも卒婚のほうがまだ丸く収まるのでは、と考えている。いまさら住居を分けるのはかなりきついと思うので現状はシェアハウスの同居人ぐらいの気持ちでいてくれればいいと思うのだが、母はもう父への愛情がないと思うので、そう考えると愛情がない人間と暮らさせるのは忍びなく思う。父は父なりに至らないところもあるが、これまで(現在も)立場上仕事にステータスを全振りしてしまっているだけで、人間的に悪人だったわけではない。つきつめるとお互いに言葉が足りないだけだ。それでずっと何十年も来てしまって、もうどうしようもなくなっているというのが現状だ。そして私だけの感情を言うと、やはり悲しい。いくら大人になって「親も一人の人間だから」と頭で言い聞かせられるようになっても、悲しい。父と母は仲は良くなかったかもしれないが、私自身は二人ともぞれぞれ好きだ。どうしてこうなってしまったのだろう。父が店をやりたい、という意志は応援したいし、私は父の作る料理が大好きなので応援したい。とっくに定年しているのに自分の腕一つで稼いでいる父親はとてもかっこいいと思うし、助けたいと思っている。でも一番近くにいる母はもうその気持ちがない。悲しい。
・思いをおさえていた父
店の経営のこと、売り上げの状態、母との関係を父から聞いたときに「心配をかけるから、あまり話したくなかった。でも話せてよかった」と父から聞いた。なんで話してくれなかったんだよ、と思った。私は息子じゃなく娘だけど思わずそう伝えたい気分だった。親が困っていて、助けたくない子どもなんていない。
余計に悲しくなった。
母はいつも家族に自分の感情をもろにぶつけてくるのに、父はずっと耐えている。その関係性も心底おかしいと思った。でも、もうどうすることもできない。お店は動き出していて、売り上げを考えて、利益を出していかないと父も生活が成り立っていかない。幸いお客さんに恵まれているから客足が途絶えることは今のところないのだけど、マンパワーや自動化も含めて足りていないものが多すぎる。なんで私は関東なんかに住んでしまったのだろう、と自分を責めてしまう。そして結局話を聞く以外実効的なことは何もできなくて、家で一人泣いてしまう。悔しいのか、悲しいのか。無力感だと思う。
・とりあえず自分の感情を吐き出してみた
現状すぐ地元に戻ることはできないが、店舗予約の自動化ツールのことについて調べたりするなど、助けられることはなんでも助けて、地元に帰れそうな時は帰ってみようと思った。
母には話をよく聞いてくれるカウンセラーを見つけて、店の経営からは外れてもらう。父にはなんとか新しい人を雇って、もっとディレクションに専念してもらう。なんとかそういう動きになるよう、私も微力ながら助けるしかないと思った。誰かを助けるには自分が強くないといけない。それが仕事の能力なのか、お金というパワーなのか、胆力なのかはわからないけど。私はもっと強くなりたい。両親や家族を守りたいから。今はこれを書くのがせいいっぱいだ。また気持ちが落ち着いたときに、次の文章を書きたい。
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