【※ネタバレ有】『深い河』読書感想文
久しぶりにものすごい小説を読んでしまった、と思った。
高校生の頃から小説は好きで学生時代はよく小説を読んでいたが、社会人になってからは仕事関係の本ばかり読んでいたため、小説を読む機会はめっきり減ってしまった。
比較的時間があったこの数年にしても、自分自身の環境や心理状態が変わったせいかとにかく先を読むためにページをまくる手がとまらない、という力のある本は年に一、二冊ぐらいになった。その数冊を彩る貴重な本だった。
概要
長年連れ添った妻を亡くした会社員、磯部がインドへの旅行を通じ生まれ変わっているかもしれない妻を探す物語…というととてもロマンチックに感じられるかもしれない。実際ただそれだけではなく、群像劇として「神」「愛」「死」とは何なのかが、インドのガンジス河の流れと共に語られている。私の感想文よりもまず読んでみて、それでじっくり意味を確かめてみてほしい。そんな物語だ。
美津子の描写
一人の女性として、また主婦として過ごした経験がリアルでもしかすると自分もこういう面があるかもしれない…と感じた。女性にとって(一般的に)幸せとされる結婚において世俗的な予定調和の会話にどこか空虚さを感じるところとか。敢えてそういう儀礼に自分を埋没させることが結婚、とか。令和の世の中に描写がやや古臭い気もしたけど昭和の結婚にはこういう側面もあっただろう(ひょっとしたら地方ではいまでもそうかも)。平和すぎてなんだかそれが疲れるということもあるのか、と感じたから。人はそんなことで疲れる、ということ。そして世間的には結婚という契約で繋がっていれば立派に一つの単位として成立してしまうという部分に男女の業を感じてしまった。ひょっとしたら、私も人を愛せない人間かもしれないと少し怖くなった(考えすぎか…?)。生活の安定と人としての心の充足はまた全く別のものなのだ、というのは年を取るとわかってくる事実の一つだと思う。キリスト教社会ではない日本において現代の結婚とは何なのか、改めて考えるきっかけになった。終始無神論者としてふるまう彼女だが、インドにおける旅の果てにラストで自然に精神的転換を果たす描写は見事としか言いようがなかった。
大津の「たまねぎ」とは
この概念は自分もわかる、と感じた。愛は神だけではなく様々なところに現れるのはとても日本的な感性で、キリスト教には日本のような汎神論的な思想はないのかと勉強になった。最初から最後まで人としてはとても弱くて、おまけに不器用な人だけど、登場人物の中で好きなのは間違いなくこの人だ。世間的に社会で評価されることはないのだとしても、限りある人生において人として何か大切なことに気が付き、それを全うできる人生は良いことだと私は思う。この人は母から与えられた玉ねぎを全うした人で、与えられた愛を分け隔てなく誰かに循環させた人。それはとても価値がある人生だ。
戦争の描写
木口の章で語られるシーン。読んでいて本当に心に迫ってくる気がして、怖くなった。たまたま外出中にこの本を読んでいたが、もし家で読み進めていたら恐怖が強すぎてそれ以上先を読めなかったかもしれない。それぐらい真に迫っていて、怖かった。戦時中の厳しい戦況とは実際にこのようなものなのだとリアルに想像できた。今の日本は平和で本当にありがたいと感じたのとご飯を毎日おいしく食べられることは当たり前ではないことを感じた。
塚田は戦後もずーっとその記憶を罪として背負い続け、壮絶な体験をしてきたのに、復員して戦友以外にだれとも語り合える人がいなかったというのも辛いだろうなと感じた。最後に救いがあったのは泣きそうだった。ガストンはひょっとすると神さまの御使いだったのかもしれない。
インドの描写
生々しい匂いまで漂ってきそうな空気感が文章から伝わってくる。ガイドの江波の桜の木の下は墓標で…というくだりで桜の木に対する見方が変わった。もちろんすべての桜の木の下に弔いがあったわけではないと思われるけれども、桜は儚いものであってもまた次の年には咲くことに輪廻の思想を重ねたのでは、と感じた。もし20代の頃にこの小説を読んでいたらガンジス河のほとりに立っていたかもしれない。文章を読んでいるだけで、写真で見た光景が浮かんできた。現実はもっとすごいのだろう。
幼い頃の記憶の描写
小さい頃、実家で猫と犬をそれぞれ2匹ずつ飼っていたので犬の描写は本当にリアルに想像できて、可哀想だった。猫は案外ドライだけれども犬は思っている以上に人間のことをおぼえている。ボーイの記憶も沼田にとってはお兄ちゃんだったのだろう。彼は沼田にとってはヒーローで、兄だった。ただ大人から見ればただの得体のしれない使用人でしかかなかった。私はボーイが罪を犯したとは思えなくて(人が良すぎるかな…)、言葉の壁で自分の罪ではないけど、うまく言葉にできなかったのだろうと感じた。それを大人は罪の証と断じる。大人になると見えにくくなって、子どもの頃しかわからない世界が確かにこの世界にはある。大人になってもその感性を持ち続けていることはつらいけど、それが何かを創る感性につながるのかもしれない。時にその感性が自分を救ってくれることもある。人は、時に自分が大切にしているものに救われることがあるような、不思議な巡りあわせがあるのかもしれない。
ラストについて
最後は読者に「あなたなら、どうしますか?」という問いかけを行っているように感じた。ここからは私の考えだけど、美津子はおそらくインドに残るのではないだろうか?大津の後を継ぐように。インドでなければ大津の体現していた「玉ねぎ」を実践できる場はないのだから…。日本で彼女が行っていたボランティアもその布石にしか過ぎなかったということで、神の采配は深いと言わざるを得ないと感じた。
映画について
Wikipediaでこの小説について調べていた際、故・三船敏郎が出演していた映画と知った。まだ私が小学生の頃ぐらいに制作された映画だった。NetflixやAmazon Primeで配信されているかどうかわからないが、ぜひ探してみたい。
まだまだ形にできない、心に来た部分はまだあったが書きすぎても野暮なので、追記はしていきたいと思う。とにかく一読の価値ありで、読んでほしい。名作でした。