雑記
夕方、のびのびしている入道雲を見て、夏やん、と思った
最近何を着ればいいのかわからない。
20°って暑いの?涼しいの?普通なの?
てか、普通って何?もう温暖化は進んでいる。
かつての普通といまの普通はまったく違うものだ。
今朝いいものを見た。
駅前で父親と、息子とみられる小学生2人がバイバイ👋🏻しながら別れていった。
父親の方は名残惜しそうに振り返ったりなんかして、ねえ、お父さん、こうやって一緒にお家を出れるのも、あと何年でしょうかね?なんでもない日常を大事にしてね、子供はすぐ大きくなりますから、、、
この頃前髪が伸びてきて、朝髪を巻いてもいまいちキマらない。
いや、キマることにはキマるんだけど、毎朝爆速で自転車を漕ぐからそれに前髪が着いてこれないという状況だ。軟弱者め。コーナーで差をつけさせろ!
あの紫のケープがあればな。あいつがいた頃は最強だった、、、、風にも雨にも何者にも負けないくらい、、、
いい加減買おうかな、、、あと美容院行こ、、、
昨年度、奇跡的に大学で友人ができ、同じ授業を取っている人たちとも言葉を交わすことが増え、空きコマを共に過ごしたり、教室移動をしたりと、かつてない賑わいを見せている日々である。
今年度もほぼ全員同じ授業を履修しており(同じ学科だから当たり前といえば当たり前なのだが)顔見知りがいることは、なんとありがたいことか、と教室で挨拶を交わすたびに思うなどしている。
とはいえ、元々一人でいるのが当たり前、一人で過ごすことが好きで、一日の中に一人の時間がないと精神的にキツくなってしまうわたしは、顔見知りのいない授業や休み時間でHPを回復させている。
友人らと過ごす時間を大切にしたい気持ちと、でも一人の時間が欲しいと思う気持ちは両立しますからね。
いつから一人で過ごすことが好きだったろう?と思いを巡らせてみる。両親が共働きだったから、小学校低学年の時から鍵っ子で、親が帰ってくるまでをほとんど友達と過ごしていた記憶はあるが。習い事へは一人で通っていたな。
冬、日が落ちて暗い中を、スイミングスクールのバスの停留所から家までそこそこ歩かなければならなかった日々の、心細さ。
雨が降る中ひとり、友達と、友達を迎えに来た保護者が傘を差しながら帰っていくのを見つめることの切なさよ。
たまに母と姉が迎えに来てくれたときはすごく嬉しかったなあ。
寂しさと祈りの日々。
一人でいることに慣れて、一人でいることが当たり前になったら、一人でいることを好きになれるのか?
抱えきれなくなったさみしさを、無理やり捻じ曲げて、それ以上傷つかぬように、これでいい、これが好き、わたしはこれからこう生きよう、と自分自身に暗示のようなものをかけて、こうなった可能性も、もしかしたらあるのかもしれないね。
まあでも、人間、死ぬときは一人ですからね!
生ぜしもひとりなり。死するも独りなり。
そのための訓練だとすれば、、、
いや、
もしそうなら、生きている間誰かと過ごしていた方がいいんじゃないか?
どうせ最後は一人なんでしょう?誰も連れて行けないんでしょう?
それならば、現世にいる間は誰かと時間を共にした方がお得じゃないか??
この歳にして新たな発見
まだまだ伸び代しかありませんね