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心を乱す「執着」から"いますぐ"解放されるには

大丈夫です。
変なツボを売り込んだり、有料ブログに誘導したりなど有りません😂🙏。

「別れたくても別れられない…」「ダメと分かっているけど子離れできない…」などなど…。
「執着」は苦しみをもたらすもの。離れたいのに離れられないから、なおさら苦しい…。

こんな時、"いますぐ"解放される方法なんて、あるのでしょうか。

執着から解放されるための、ブッダ先生の有り難い処方箋もありますが、ここでは割愛させて頂きます🙏。

「はぁ?なんでだよ!ふざけんな!!!」

と感じてくださった方は、「すぐに答えが手にできるはず」という執着の事例を示してくださり、勝手ながら有難うございます🙏
生意気いってスミマセン😅🙏。

マジメに語ると、ブッダの語る「執着の離れ方」は、すでにたくさんの方も語っているし、自分もつい先日書かせて頂いた内容にも要素がつまっております。

ですが、これらの教えは、有り難いものの、即効性があるわけではない。

苦しい時ほど、「すぐに救われたい!」ものですが(それこそが、まさに執着なのですが…)、ブッダの教えは日常の実践の継続が求められる。

すぐにどうこうなるワケではない。

それでも、今この苦しさから解放されたい…。
それは「思う通りにならない」ことで、海水で喉を潤そうとするような、願うほどかえって苦しさが増す状態。
だから、その執着を手放せるよう、よき心を整えて気を付けて…。

そうなのですが、それでは、時に沼にハマっていく。
抜け出そうともがくから、かえって沼にハマっていくように。

こんな時、どうするのか…。本当に"いますぐ"解放される方法なんてあるのでしょうか…。

下記の内容は、人様からメシを食べさせて頂いて無職に生きているだけの、脳内花畑のなーんにもわかっちゃいないハゲアタマの戯言である前提で読み進めてくださいませ。



お待たせいたしました。


それでは…
答えを発表させて頂きます…。



ドゥルドゥルドゥルドゥル(ドラムの音)




はいっ!






それは

「バカみたいにガハハと笑ってみる」

ことですっ!



…。

…。

…。

…。

…。


えーっと…、

大丈夫でしょうか?

怒りで呼吸を忘れてませんでしょうか?


失望してしまったら、申し訳ございません。
いちおう、大真面目なツモリではあります。
あっ、このニヤニヤした顔は、たぶん生まれつきでして…。
こんな顔でスミマセン。



一度だまされたと思って、大声で

「ガハハハハハ!」

と言ってみてくださいませ。

え?


すみません。聞こえません。

もう一度お願いいたします。


バカになりきれてないかもしれません。

もっと、大きな声で、腹の底から全てを吐き出すようなツモリで。
肺の中が空っぽになるくらい、最後までです。

ちゃんと、バカになりきりましょう!

さぁ!!!

「ガハハハハハハハハハハ!!!!!」





さて、いかがでしょうか。
少しだけでも、スッキリしませんでしょうか。

大切なのは「バカになる」こと「吐き切る」こと「笑い飛ばす」ことなのではと、真剣に思っているのです。

「執着」は、何かを一生懸命、抱えている状態です。
その、抱えているモノは「心を苦しませること」なのです。

虐待をうけたり愛されなかったなどの過去の苦い体験であったり、
辛い別れやイジメや事件などの苦しい出来事であったり、
先が見えない経済状況や健康状態だったり、
すぐには解決できない身体や能力や境遇の問題だったり…。

ブッダ先生の処方箋に従って、うまく流せればよいのですが、執着の真っ只中にいる時は、いわば、心を苦しませるモノを、大切に必死に抱きかかえてしまっている状態なのです。

執着から離れられるか否かは、周りや誰かがどう変わるかではなく、自分の心の中の変化にかかっている。
その対象を、心のなかかで、ただ、手放せるか、どうか。

でもなかなか、そうは感じられない。「あれがこうなれば・・・」「あの人がこうしてくれれば…」と自分の外の何かが変わることに頼ってしまう。
それは、ますます執着が増していくことになるのですが…。

自ら手放せば楽になるのが分かっている場合でも、なかなかその勇気が沸き起こってくれない。
その執着に「頼っている」自分がいるから。手放すのが、怖くも感じさせる。

何かのキッカケで手から離れたら、本人がビックリするくらい、スッキリできるものなのですが。

その「とき」が来るまでは、その事実になかなか気がつけない。

だから、ますます、「周りの何かが変われば」とか「ゼッタイに手放すなんて考えられない」という執着が増していく…。


こういうときは、何か別なものを手放す機会を持ってみるのが良いのではと思うのです。


その一つが
「バカになってガハハと笑ってみる」ことなのです。

もちろん、これで、必ず執着から解放されるワケではないのですが、そのキッカケになるかもしれませんし、少なくとも、一時的には苦しさから解放されやすいのでは…。そう思いお伝えさせて頂いております。


本当は
「ウンチしてトイレに流してしまう」とも迷ったのですが
いつでもウンチがでてきてくれるワケではないですし💩。

お掃除で断捨離するのもよいですが、それもいつでもできるわけではないかもしれないので…。

ちなみに、得度して髪の毛を落とす行為も、「見た目」という執着を手放す行為でもあります。

なんでもよいのですが、
一度、何かを自分から離してみる。

いつでも、誰でも、どこでも、一番離しやすいのは「肺の中の空気」です。


しっかりと、肺の中の空気を捨てきらないと、フレッシュな酸素を取り込むスペースが生まれません。
でも、多くの人は、呼吸が浅い。吸うことばかり意識が向いて、肺の中の二酸化炭素を出し切ることに意識が向きにくい。
執着にとらわれて苦しい時ほど、身体が強張り、空気を吐き出せてない。

そんな時、泣いて喚いたり、大声で歌ったりもよいのですが、
「ガハハと大きく笑ってみる」のも、同じく、空気を吐き出すのに効果的で
なにより「バカバカしい」のです。
そして、泣くよりも、笑うほうが、心にとっては良い。


佐々井上人と日本全国行脚のお供をさせて頂いた際、朝から本を読んでいた自分に、佐々井上人が
「本ばっかり読むな!バカになれ!!」
と叱ってくださったことがありました。

そんな佐々井上人は毎日こんな感じなのですが😅。

毎日遅くまでたくさんの書籍を読み込まれる佐々井秀嶺上人

一方で、佐々井上人は、車に乗っている時に、突然

「春のうみ〜 ひねもす〜 のたり〜〜〜 のたりかなぁ〜〜〜〜」


と大きな声でうたったり
「ガハハハ!!!」と大声で笑ったりされます。

そんなお姿を側で見ていて
「あぁ、そういうことなのだろう」
そう、勝手ながら感づいたのです。

僕はえてして、知識ばかりをアタマに詰め込んで、分かった気になって、その実践にかけるところがある。むしろアタマデッカチになるところがある。
でも、それでは、誰かの苦しみに向き合うには、共感しきれなかったり、心を癒やすことには繋がらないときもある。
知識で固めようとするのは、自分の自信のなさでもある。
知識があるなしは関係なく、誰かの心に正面から裸でぶつかっていくことのほうが大切なときもある。
むしろ「知識がある」プライドが、裸でぶつかることを止めさせる。
そうならないように、「バカになれ」と。


一度、バカになってみる。

これも、とてもよい「何かを手放す」キッカケになる。
とくに、向上心が高かったり、マジメな方ほど、「なんとかしなければ」と自分を苦しめている対象を大切に抱え込んで苦しんでしまう傾向があるので、なおさら「バカになってみる」のは効果があるのでは。

そう、感じております。

お隣さんや同じ住まいの家族にご迷惑になりそうな場合は、朝の公園や川沿いや、カラオケボックスでもいいかもしれません。

さぁ、もう一度やってみましょう!

ちゃんと、バカになってくださいね。
変顔してもいいかもしれません。

それでは、思いっきり息を吸い込んで

「ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」


スタジオジブリ「となりのトトロ」より https://www.ghibli.jp/works/totoro/

しっかり、出し切りましたか?

機会があれば、💩を流しながら(💩してるときは息まないといけませんので😅)ガハハハ!!とトイレでわらってみてくださいませ。

とっても、バカバカしくなれます。

そうすると、もしかしたら、いま苦しませている対象を後生大事に抱えている自分が、面白おかしく感じられるかもしれません。

もしかしたら、それが「そのとき」になるかもしれません。

「なーんだ、これって、手放しちゃっても、全然ヘーキどころか、めっちゃ楽になれるものだったんだ」
って実感が生まれる。


とってもくだらぬ内容で大変に失礼いたしました。

苦しまれていらっしゃる方の中で、少しでも楽になる時間となれたなら、とても嬉しいです。

今日もお付き合いくださり、有難うございました。

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