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心は「置き場所」を変えれば、感じ方も変わるもの
自分の周りの状況が楽しく感じられない時は、周りをどうこうすることができなくても、自分の心の置き場を変えることで、心の感じ方は変えられるかもしれません。
ブッダの言葉に「ものごとは心によってつくり出される」というものがあります。
何かのものごとの「感じ方」は自分の心の状態によって影響されるという趣旨、と理解しています。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、苦しみはその人につき従う。 ー 車をひく牛の足跡に車輪がついて行くように。
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、福楽はその人につき従う。 ー 影がそのからだから離れないように。
たとえば、心が汚れてしまっていたら苦しみがつきまとうが、心が清らかであれば、幸せを感じられる、というように。
たしかに、いつもしかめっ面をしていたり、眉間にシワを寄せた顔の人は近づきがたいものではないでしょうか。そんな状態では、幸せを感じる機会もつかみにくいのでは。
SNS上でも、不満や怒りの投稿は、同じく不満や怒りを抱えた人同志を引き付け、互いの不満を掻き立てることにつながるそうです。
そんな中にいても、世間は不満や怒りばかりが蔓延しているような錯覚がうまれ(実際にはそうでない人だっているのに)、それは幸せを感させにくく、苦しさが増すかもしれません。
でも、「心が清らかであれば、幸せを感じられると」と言われたって、既になんだかざわついてしまっている心を「清らかにしよう」と思っても、そう簡単にはいかないですよね。
そして、心を悩ませている周りの出来事を、いますぐどうにか変えることもできないかもしれない。(ガハハと笑ってみると、一時的には心は晴れることもありますが😅)
そんな時でもできるのは、「心の置き場を変えてみる」ことなのでは。
そう考えています。
心の場所を変える?どういうことでしょう?
それは
目にするもの、聞こえるものなど、何かを感じる対象を変えてみること。
です
心そのものは触れませんし、動かせません。
でも、心が触れる対象を変えることは可能です。
心がおだやかになり喜びそうなものに対象を向けて、心がザワザワする対象からは離れるようにしてみる。
例えば、自分を悩ませる対象となる人がいたら、なるべく接点をもたぬようにしてみる。時に避けられないこともありますが、少し距離をおいたり、反応するのに少し時間を置くようにしてみたりなど。
ネットニュースでは、悲しい事件や切ないニュースは避けてみる。
SNSは、不満や怒りを表明したものを避ける。
そもそもSNSはそういった投稿が目立ちやすいので、SNS自体から離れてみてもよいかもしれません。
油断すると心は何かをもとめて勝手にフラフラしたがるものなので、ざわつかせるニュースやSNSに勝手に惹きつけられることがおきます。
そうならないよう、心がどんな対象に触れているのか、どんな置き場所にあるのかを、よく気をつけるようにする。
そして、代わりに、少し心がホッコリするものに対象を向けてみる。
お勧めなのは、自然に触れること。
実際に外を歩いてみて、公園など、自然を感じる場所にいって、スマホではなく、木々や雲を見たり、音や匂いを感じてみたり。
心がホッコリしたり、暖かくなれるような作品(小説、映画、漫画、アニメなど)に触れてみる。
やさしさを感じたり、楽しさを感じさせる人と触れる接点をもってみる。そういった人の動画を見るのでもいいかもしれません。
散歩やジョギング、ラジオ体操、お掃除など、適度に身体を動かすこともお勧めです。適度な運動は、心を清らかにさせる効果が生まれます。
これが「心の置き場所を変えてみる」ことです。
できれば、自分を悩ます周りのことをどうにかしたい時もあるでしょう。でも、それにこだわって自分の心がますます苦しむなら、自分の心の置き場所を変えることのほうがコントロールしやすいのでは。
ブッダの他の言葉で、
「自分(の身体や心)ですら、自分で(思う通りに)どうこうできるものではないのに、どうして、自分の子や財産を(いつまでも思う通りに)どうこうできると思うのか。」
というものがあります。
その通りですよね。自分の心ですら、なかなか思う通りになってくれないのですから、周りの人だって、それぞれモヤモヤに苦しんでいるでしょう。
それを自分目線でどうにかしたいなんて、都合よくはいかないものですよね。
なかなかうまくいかない心ではありますが、でも、心が触れる対象だったら、少しの努力で変えていける。
そうすれば、心の置き場所が変わることで、心の感じ方も変わるかもしれません。
でも、自分の心を悩ます周りが変わらなければ、根本解決になってないから、一時しのぎの「ごまかし」のようなものなのでは?
僕は、そんなことは無いのではと思うのです。
なぜなら、まずは自分の心が、ザワザワした状態から、少しおだやかになることで、自分の周りの出来事にも、より冷静に的確に、勇気をもって取り組むことができるかもしれないからです。
剣豪の宮本武蔵は、生き死にがかかる真剣勝負において大切なこととして、しなやかで動じない心について語っています。
自分の生命が失われるかもしれない危機的な場面であっても、あわてず、静かでおだやかな心持ちを保つことが大切。といった感じでしょうか。
自分の周りの課題について周りの人と向き合う時も、こちらの心がザワザワしたり怒りっぽかったり不満に満ちていいるよりも、冷静におだやかな口調や態度で向き合えるほうが、相手との話しもスムーズに進み、解決に向かいやすいこともあるのと、同じでしょうか。
しかも、それは、生き死にが関わるほどの問題ではないかもしれませんし。
だから、だいじょーぶ。
まずは、心がおだやかに喜んでくれそうな対象に向けるよう、心の置き場所を変えてみる。
そうすると、周りに起きている課題についても、より善き方向へと進む糸口が見つかるかもしれません。
そんなふうに、日々のなかで、おだやかで、おもしろいなぁと心が感じる時間が重なっていくことを、勝手ながらお祈りしております。
今日もお付き合いくださり、有難うございました。
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