誰が「子供時代」を盗んだか? -「児童ポルノ」を巡る人々の認識に問いかける-
この記事は、「LGBTと「児童ポルノ」規制に対する批判 -「児童の性的搾取」は妥当な概念なのか -」(https://note.com/0q0/n/nad43de7a15b9)の続編であり、扱うテーマとしては、法化社会、ジェンダーフェミニズム、それらと関わりが深い児童ポルノ法をメインテーマに据えています。
児童ポルノ法の成立過程と、それを取り巻く社会状況は、遥かに複雑である為今まで検討されて来ませんでした。「子供を守る」という分かりやすい物語、大義名分は、国連やNGOまで巻き込み、今では世界中で共有されるイデオロギーと化しています。果たしてそれは正しいのでしょうか。
前記事でも筆を執り、上記をざっくりと書きましたが、もっと掘り下げて考えてみたいと思っています。
前章
「過去」が、超加速的なスピードで精算されつつある。
これを見て、あなたは何を思うだろうか。
記事を見た多くの人の感想は、「母親が子供を利用した毒親」と捉えるだろう。
しかし、誰でも知っているような有名な洋楽のアルバムのジャケットの被写体が訴え、取り下げられたとしたら?
どれも実際にあった事例だ。
私は、こういった裁判は、今後も乱発するだろうと思う。余りにも乱発されるので、法規制を考えるようになったら………。
私なりの未来予想図だが、全くの的外れと断言出来るだろうか?
子供の安全が執拗に要求されるセカイ
これは、徒歩か自転車で通学する5-18歳までの米国の学生を追った調査なのですが、1969年では42%だったのが、2001年には16%に減少しているという結果が示されています。
更に、イギリスや西ドイツで行われた、似たような傾向を示す研究では、外遊びをする子供が減ったことが示されており(http://john-adams.co.uk/wp-content/uploads/2007/11/one%20false%20move.pdf)(https://www.cycling-embassy.org.uk/document/childrens-independent-mobility-a-comparative-study-in-england-and-germany-1971-2010)、この現象について、米国の哲学者であるスティーブン・カーシュナー(Stephen Kershner)は、我々が「安全とは何か」を誤解している為に生ずる現象と捉えています。
しかし、私の見解は、児童の安全を巡る事象は、全てがそうではないかもしれませんが、アメリカが法化社会になった結果だと考えています。
日本の「新住民」とは質的に違うものの、似たような現象が生じている可能性だってあるのです。
アメリカで児童ポルノ法が制定されるようになったのは、1977年のことですが(Protection of Children against Sexual Exploitation Act of 1977でググれ。https://www.mtsu.edu/first-amendment/article/1088/protection-of-children-against-sexual-exploitation-act-of-1977も参照のこと)、時を経ても尚、現在進行形で厳罰化に舵を切っています。参考:
https://www.ojp.gov/pdffiles1/Digitization/51083NCJRS.pdf
法化社会を象徴するものに、イギリスで、反社会的行動禁止命令(Anti-social behaviour order)という法律(Crime and Disorder Act 1998)に基づく命令がありました。法律の改正により、現在では、禁止命令(Injection)と、犯罪行為禁止命令(Criminal behaviour order)に置き換えられています。
簡潔に述べると、軽犯罪を犯した者に対して、特定の人と付き合うことや、特定の服装を禁じたりする規定で、過去には15歳の少年がサッカーを禁じられた事例もあります。
この法律も、法化社会に伴う不安の現れと言えるかもしれません。
新住民化に関しては、宮台真司氏のツイートも参考になるでしょう。
新住民化による不安倍増と、SNSの発展により情報が入手しやすくなり、「無意識が外在化」し、幼い子供のように過敏になる社会状況では、児童ポルノ法は、様々な思惑が交錯する、扱いづらい素材なのでしょう。
ここであなたに問いかけます。
児童ポルノ法を廃止し、包括的な児童保護の法律を立案するとしたら、あなたは若者と青少年に、どのような支援を行うかを法律に明記しますか?
児童ポルノを禁じる動きに関して、人々が賛同するのは何故でしょうか?また、それらの動きは社会状況の変化によるものであるのか、子供自身が変わってきているのか、どちらの立場で考えますか?両方ともシミュレーションしてみて下さい。
CG児童ポルノ事件の判例 -いつまでも保護されなくてはならないのか?-
これは、「過去に発行された少女ヌード写真集をモデルにしたCG作品が児童ポルノに当たるか」を論じた判例だが、個人的には問題点が多い判決だと考えている。
注目して欲しいのは、「製造時点において18歳未満であることを要しない」とあります。
この作者は、清岡純子の『聖少女伝説』『聖少女伝説2』をモデルにして作品を制作し(https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=2918780&media_id=178)、児童ポルノ禁止法で起訴され、その後有罪判決が出ています。
https://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/197/089197_hanrei.pdf
この判例のロジックに従えば、AI学習に少女ヌードを利用するだけでも、法律に触れるという解釈になるでしょう。
一部のAI絵師の礼儀の問題とは分けて考えて頂きたいのですが、過去のヌード写真をAI学習に使うとリスクが生じるということ自体、今後の技術の発展を阻害するのではないでしょうか。最早、児童の保護の法律とはかけ離れていることが分かります。
また、この判例では、
と書かれていますが、「性的搾取」の定義すら示されていない上に、具体的な論点すら示さず、堂々巡りとなっています。
18歳になっても尚「保護すべき」というのも、明らかに自己決定権の観点から問題があります。本人が望んでいる場合ですら、「搾取」と言い張るのでしょうか?
この判例で使われているロジックは、
児童ポルノを処罰する
悪い小児性愛者が改心する
児童への性的搾取がなくなる
と言うような三段論法です。
何故このような事になっているのかと言えば、それは現代フェミニズムの動きと密接に関わっているのですが、その件については、次の章で詳しく説明します。
フェミニズム的消費される児童ポルノ法
俗流フェミニズムでよく見られますが、しばしば反小児性愛とセットで、児童ポルノ法が論じられることがよくあります。
前章で、児童ポルノ法はジェンダーフェミニズムに由来している事を示しましたが、詳しく書いていきます。
ジェンダーフェミニズムについて解説致しますと、
1960年代の公民権運動(キング牧師の事は学校で習った方も多いと思います)以後、人種差別の解消は喫緊の課題だった。
当時まだ残っていた黒人↔白人間の人種差別を解消するために、「黒人と白人の間に差はなく、あったとしてもそれは社会的な差だよ」との主張がなされた。
そのような時代背景でなされた主張が、フェミニズムに流用された。この主張は、ERA(Equal Rights Amendment, 男女平等憲法修正案)推進、「らしさ」を主張する保守派へのカウンターに利用された。
それらが行き過ぎて、トランス女性の女子スポーツ参加や、未成年者へのトランス推奨などで揺れることになった。
流石に行き着く所まで行き着いてしまい反省の流れ。スポーツにおいてトランス女性が女子スポーツへ出場する事を禁止し、スウェーデン保健福祉委員会が青少年の性別違和に関する新しい治療ガイドラインを公表。今までの流れが精算されつつある。👈イマココ
https://twitter.com/robot_pillton/status/1605830545518125056?s=20
https://archive.md/wip/dTRps (凍結された時の為に)
ジェンダーフェミニズムにはこのような背景があり、そのような思想から、レイプカルチャー論が生じました。
レイプカルチャー論とは、「社会による後天的な刷り込みにより、レイプは成り立つ」と主張する思想です。それらは、児童ポルノ法の精神にも関わってきます。
「社会に性加害があるのは、男性が萌え絵やAVを見たことによる仕業だ」と言い換えればわかりやすいかも知れません。
公的機関や、NPO法人にもレイプカルチャー論は浸透しています。
Colaboが、保護した少女を辺野古や正義連のデモに連れ回していたり、朝日新聞などの左派が頻りにい慰安婦問題を提示するのも、レイプカルチャー論がベースになっていたりします。
極めつけはこれです。
無論、児童虐待の要因は多様であり、単一の「風潮」により生じるものではありません。
強固な実在論を掲げるECPAT等の主張を丸写ししたのでしょうが、ECPATはフェミニズム団体ではありませんし、現にこのような記述が残っている事も如何なことでしょうか(じ実際に見る人がいるかは別にして)。
追伸:この記述、更新されていなかったサイトから引っ張ってきているんよね。
いい加減最新の知見に改めたらどうかと思うんだけど。何回もメールしてもシカトされたし。
終章
無論、私は「幼児でもセックスする権利を!」をと言っているのではありません。
只、規制の範囲が明確では無いがために、冤罪のリスクが生じることや、法律を錦の御旗にして非難する行為には慎重になって下さいといっと言っているだけなのです。
私はこの問題に関して「臭い蓋をする」のではなく、積極的に議論を出来るようになって頂けたら、冥利に尽きる思いです。
どんな問題にでも適用出来ることですが、ただタブー視するのは、問題解決の点からしても宜しくありません。
児童の権利に関わることですから、法律制定の経緯等の情報を正しい形で子供に与えないのは、悪趣味が過ぎると思います。
fin.