でかいものが素早く動いていると人はどうしても見ちゃうよね
子供は、動くモノに目を奪われる。男子は特にだが、車や電車といったものが好きである。
小さな子供が親と一緒に電車を見て、手を振っている様子は実にほほ笑ましいものだ。
「動くモノに関心を持つ」というのは小さな子供に特有のものかのように思ってしまうのだが、そうではなく多くの人にとってわりあい普遍的なモノなのではないか、と思う。より正確に言うと、何でもかんでも動くモノに関心を持つというよりは「でかいものが素早く動いている」という様子に人は関心を抱くのではあるまいか、と思うのだ。
例えば、体のでかい黒人が100mを9秒7とかで走る様子には、多くの人が目を奪われる。それはそもそもアスリートの体がでかく、人間が走るにしては異常なスピードだからである。
ほかにも、力士が相撲をとるときなんかも同じだ。力士は筋肉のよろいをつけており極めて体が大きいわけだが、立ち合いの瞬間にはすさまじいスピードで相手にぶつかっていく。こうした瞬間の興奮は何物にも代えがたい。
人間から離れても、新幹線が爆走しているのもそうだし、もっといえば飛行機の離陸の瞬間もそうだし、F1マシンという大きな「機械」がとんでもないスピードで走っているだけで面白いのである。
なぜなのかを考えてみると、そこに大きなエネルギーが渦巻いているからではないか、という気がしている。物体として大きなモノにはエネルギーがあり、スピードの速いモノは運動エネルギーを持っているわけだ。こうしたエネルギーに、人はひき付けられているのではないか。
歌がうまい人は音程どうこうよりも声がでかいという話もあるように、声がでかい人にも人はひき付けられるものである。これも人が発するエネルギーに魅了されていることを示唆しているのではあるまいか。
以前ある先生から「方法はなんであれ、有名になる人間には誰しもパトスがある」と言われたことがあった。パトスは情動といった意味の言葉である。そのパトスがエネルギーを生み出し、人を行動に導く面は大いにある。年を重ねればエネルギーを徐々に失うのは世の常ではあるけれども、「素早く動くでかいもの」なんかを見て、ちょっとエネルギーのお裾分けをしてもらいながら人は生きる活力を得ているのかもしれない。