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八月の読書小記録

ひとつきに読んだ本のなかから3冊を選んで、力を抜いてみじかい感想を残していきます。
積極的なネタバレはしませんが、引用はするので未読の方はご自身の判断でどうぞ。


🍉八月の三冊



勝手にふるえてろ/綿矢りさ

妥協とか同情とか、そんなあきらめの漂う感情とは違う。ふりむくのは、挑戦だ。
自分の愛ではなく他人の愛を信じるのは、自分への裏切りではなく、挑戦だ。

私は一度好きだった人のことをかなりしつこく憶えているほうで、ずっと昔の記憶を何度も噛んで飲んで戻して噛んで、とっくに胃液の味しかしなくなっているのに、その胃液が妙に甘いせいでまた噛むのをやめられない。前世は牛だったのかもね、と何度目かの反芻を始めようとしたところで読んだ本。つまりめちゃくちゃに刺さった。

中学時代の片思いを引きずって日々妄想、時に暴走してしまう26歳OLの主人公は傍から見れば滑稽なのかもしれないけれど、私は片思いの独りよがりさ、良く言えば純粋性みたいなものが大好きなので、めちゃくちゃ格好いいじゃんと思う。

もういい、想っている私に美がある。(中略)
私のなかで十二年間育ちつづけた愛こそが美しい。

そういう美しさを主人公が(開き直りにしても)肯定してくれたことが、私は一番嬉しかった。

たった一人で、誰にも明かさず、ある種の空腹状態で想いを磨き続けるというのはほとんど修行に近い。そのまま境地に達すれば、想いだけで単為生殖できちゃいそうな気迫だ!……だけど現実にはそんなことはできないので、どこかで選ばなくてはいけないのだ。自分の愛を信じるか、他人の愛を信じるか。

苦しいけれどとても好きな小説だった。
ちなみにこの作品のあらすじをネットで調べると、「恋愛経験のない主人公のOLが……」と書かれていて、拳を震わせている。片思いも立派な恋愛経験だろうが!!

異性/角田光代、穂村弘

しかしながら、もし私が、こっぴどく自分を傷つけ離れていった恋人の幸福を、無病息災を、家内安全を、恋愛成就を、子孫繁栄を、商売繁盛を素直に願う、すこやかですがすがしい女だったら、小説など書いていないだろうと、ここまで考えて思った。(中略)自分でもうまく説明できないのだが、私が小説を書こうと思い、書き続け、なお書きたいと願う、その核の部分は、きらきらしたまぶしい正のものではなくて、黒くてゆがんで湿った負のもの、という気が、どうしてもしてしまうのである。

14 別れた人には不幸になってほしいか(角田光代「黒い心」)

男と女、恋愛についての考察エッセイ。角田光代さんと穂村弘さんのエッセイが往復書簡形式で交互に掲載されていて、回をかさねるごとに内容が深まっていくのがおもしろい。
まず前提として、かなり極端な考え方が多いので(もちろんこちとら人気作家二人のパーソナルな思考が見たくて読んでるわけだから、それでいいのだ!)、適度な距離をとって読んだ方が楽しめるかも。
たとえば、

女性は変化をおそれ、男性は固定をおそれる

(角田光代「変化と固定)

別れた恋人を忘れられないのは、いつだって女性より男性に圧倒的に多い

(角田光代「こわがってないじゃないか!)

『私の真価にだれか気づいて』となると、やはりこれは女性特有の願望であるように思う

(角田光代「ありのままの私」)

女性には、おそらく所有されたい欲がある

(角田光代「所有もされたい」)

といった考えには女の一人として「本当にそうかしら……?」と思いつつ、社会科見学みたいな気持ちで読み進めていった。いま引用してから気づいたけれど角田光代さんのパートばかりだったので、単に私の性格が角田さんと違いすぎるというだけかもしれない。むしろ私は穂村弘さんの「男」観のほうに(女ながらも)共感することが多かったのも面白い。

個人的には男女観以外のところに魅力を感じる文章や考えが多くあり、引用した「別れた人には不幸になってほしいか」論争から生まれた小説家としての核への言及は大変痺れた。私も同じです、なんておこがましくて言えないが、創作者としてそういう気持ちを手放さなくていいのだということは、救いだと思った。

手をつないだまま さくらんぼの館で/令丈ヒロ子

「ごはんを作ってもらえたり、重いものを運んでもらえるのって、すっごくうれしい。ああ、一人じゃないんだって感じがすごくするし」

『若おかみは小学生!』シリーズ(小学生の私が大変お世話になりました。)で知られる令丈ヒロ子先生の大人向けの小説。

文体は児童文学風で読みやすく、想像が膨らむ描写は流石。特に舞台となるお屋敷「白桜館」には子供心をくすぐられる。お姫様みたいな天蓋ベッドもステンドグラスの飾り窓も図書館のような本棚も、私はまだ全然諦めていない。はやく全てを手に入れたい!
さらに食べものの描写も美味しそうなのが良い。フルーツサンドやカツサンドを持ってお花見に行きたくなって、今が春から一番遠い季節であることに悲しくなる。

ところが物語はほっこり一辺倒では終わらず、後半から風向きが変わってくる。個人的にはそこからの結末やストーリー自体がすごく好みだったわけではないのだけれど、それよりも普段児童文学を書かれている方がリミッターを解除して自由に書くとこんな風になるんだ、という面白さが強かった。普段手を抜いてくれている母の本気いろはかるたを見る正月、みたいな良さ。

🖊わたしの八月

市民プールの回数券を買った。
別に水泳が大好き!というわけではないが、この酷暑かつ私の運動神経でもできる運動の種類はあまり多くはない。ちゃんと定期的に通って使い切れよ、という自分への圧も込めての、11回分の回数券だ。

夏休みの市民プールに行くと、「少子高齢化って言うけど子どもってまだこんなにいるんだ」と驚かされる。小学生で溢れているプールは正直まともに泳げたものではないのだけど、こちらにまで夏休み気分を味わわせてくれるのでありがたい。むしろ貴重なプールの水を私なんかの肌が吸ってごめんよという気持ちになる。夏のプールはやっぱり子どもたちのものであってほしい。気持ちだけでも、肩幅を狭めて泳いでいる。

八月、おにゅ〜のゴーグルと

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汐見りら
お読みいただきありがとうございました🌙

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