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子供のころ、未来に期待なんかしてなかった。だから、

みなさん、こんにちは!ねこ沢です🐈
この記事では、前回に引き続きみ・らいず事業所見学を取り上げます。 
今回は「み・らいずパーク」に伺って感じたこと、考えたことをお話したいと思います。

目次  
「大学に行くことを想像もできなかった」〜み・らいずパークを訪問して〜  
環境と選択肢が私と友人とを隔てている  
あなたは何を感じていますか

 「大学に行くことを想像もできなかった」〜み・らいずパークを訪問して〜 
子どもたちの生きる力を育む放課後の居場所[み・らいずパーク]とは...👧🧒
小学生の放課後の居場所です。
勉強、遊びや季節の行事等を行います。 
いろんな家庭や環境で育つ子どもたち。
どんな環境であっても、子どもらしく育まれ、子どもらしく育ち、将来自立する力をつけることを応援しサポートしていきます。
活動場所:大阪市住之江区
利用者さん:
・小学校1~6年生 ・親御さんが働いていたり、忙しく親子での時間が持てないご家庭の子ども
(み・らいず公式サイトより引用)

 こちらの施設では、新しくできた施設内の見学や、利用者さんや職員さんと交流をさせていただきました!  
児童福祉に携わってきた職員さんにインタビューする中で「大学にいくことを想像もできない子供もいる」というお話や大阪の一部の地域には経済的に困窮した人が多く暮らしているというお話を伺い、私は自分の子供時代を思い出しました。

※次の段落には、心理的・身体的虐待、ネグレクトに関する内容が含まれます。 フラッシュバックなどの心配がある方は注意してご覧ください。 一段落読み飛ばしても内容に大きな影響はありませんのでご安心ください。

 私は大阪府で生まれ、幼少期は府内のとある地域で育ちました。 
今では大学卒業後も何らかの教育機関で学びたいと思っていますが、たまたま高校で進学校に入るまでは、大学に行くなんて考えたこともありませんでした。 
親族には1人も大学進学した人がおらず、ロールモデルがいなかったことも大きな理由の一つではありました。
しかしそれよりも甚大な影響を与えたのは、さまざまな足枷だったと感じます。 
例えば小さい頃に、幼い私の外見や能力を馬鹿にしたり、しつけと称して虐待をしたりする大人たちが身近にいたこと。 
また、家にある本は、成人向け雑誌と漫画、占い雑誌くらいで、床にはタバコやお酒や雑多なものが散らかっていたこと。 
周囲の大人は精神的に不安定で、物心ついた頃から彼らの精神的なケアをするヤングケアラーの役割を担っていたこと。 
そういうものが幼い子供の心を削って無理やり大人にさせたり、能力を育む機会を制限する足枷になっていました。 
学ぶことは面白く、自由な知性と行動力、未来への可能性を授けてくれると知ったのは、大学に入って、さまざまなしがらみから距離をとれるようになってからでした。

 当時のことを改めて振り返ってみると、そうした環境にいて私は「自分が大学に行けるなんて考えられない、自分の身に起きるなんてありえない」と無意識に感じていました。 
そもそも「なんか苦しい状況」しか知らないのでこの状況がずっと続くものと思っていて、それ以外の未来なんて想像しようもないしそんな余裕はなかった、という感じでしょうか。
言語化が難しいのですが、あらかじめ未来に広がる選択肢が隠されて(考えられなくされて)選ばされているみたいな状況で、ひどく閉塞感のあるものでした。

   こうした環境の問題点は、環境が本人にネガティブな影響を与えるだけでなく、そうした環境にいる時には、未来の可能性が狭められつつあることを認識しにくいということだと思います。 
また、幼い頃から接している親族や保護者との繋がりや愛着もあり、そうした環境から心理的に離れにくいということも課題だと感じます。 
さらに、このような可能性を封じ込められた環境で、周囲の人々や支援機関、情報にアクセスする力が培われず、自身の心の傷もケアされないまま大人になった時、親の幼少期の生育環境を子供の世代でも再現してしまうことがあります。 
つまり貧困や虐待、苦しい家庭環境が連鎖してしまうということです。 
親もまた、ある時期に社会制度や公的機関、保護責任者等に傷つけられ、支援の網目からすり抜けてしまったからこそ加害・問題行動に走る場合もあるのです。

 私のケースでは大学での学びが人生を大きく花開かせたため例として大学を挙げましたが、 大学に通うことや働くこと、または働かずに別のことをして暮らすこと、専門学校に通うことになんの優劣もありません。
大学に行けないことがかわいそうとかそんな話ではありません。 
本来はそれぞれやりたいことや叶えたい希望、ライフプランに合わせて選択すればよいもので す。
しかし現在の社会では、全ての人が自由に選択できるわけではありません。 
・そもそも選択が与えられていない、知らされていない 
・自分がある選択を選び叶えているところが想像できない
・自由に選択できる状況にない 
・ある選択をする/考えられるまでの状態になる環境が整えられていない(→進学することで得られる価値を知る/理解することすら、ある程度の環境に身を置かないと難しいことです。)
などのさまざまな背景があります。 
格差や不平等を生まないようにするためのシステムが未熟で、一部の子供の、そして大人の生きる権利が踏みにじられているのです。

環境と選択肢が私と友人とを隔てている  
 このみ・らいずパークを訪問させていただいて初めて私は幼少期の経験を思い出し、児童福祉に繋がるべき状況にあったのだと認識しました。 
それまでは過去の経験をすっかり忘れていました。 大阪という場所への忌避感はあったのですが、幼い頃抱いていた「誰の力も借りずにここを乗り切らなくてはいけない」みたいな未来への暗い諦念を忘れてしまっていました。 
その理由の一つは忘れたかったからということもあります。

 もう一つは、高校で進学校に入り、大学も難関校に進んで行って、私を取り巻く人々が大きく変わったからだと思います。 
幼少期、小学校、中学校時代にはあまり周囲にいなかった人々が高校、大学と進むにつれて増えてきました。 
大人から守られ愛されてきた人、学ぶ環境が整えられてきた人、家庭が裕福な人。 
彼女たち、かれらはとても余裕があって知識と経験が豊富で誠実で、人と関わることを恐れて敵対的な態度を取ることもあった私に非常に優しく接してくれました。 
私はそういう友人たちに出会ったおかげで、子供の頃の経験を振り返り、自尊心を取り戻して豊かな心を生き返らせることができました。
大学ではそういう人の方が多く(または深刻な家庭環境や経済状況のことを言い出せないだけかもしれません。)、そういう人々に囲まれて楽しく暮らしている間に、幼い頃の切実な絶望を忘れてしまっていました。

 私自身は、大学4年生になる頃になってようやく自分の目の前に広がる可能性に期待して、自分の意志で前に進んでいきたい、生きるのも悪くないと思えるようになりました。 
大学に入ってすぐの頃、私は自尊心が低く猜疑心にあふれていて自傷行為を続けていました。 
家族はもとより、みんな自分のことをうっすら嫌っていると思っていて、少しでも気に入ってもらえるように必死で過ごしていました。 
そこからだんだんネガティブなものごとと距離を取れるようになり、何が自分を縛っていたのかを知りました。 
その過程で、友人が「普通に」家族や友人を心から信頼して、頼って、そうした人々のサポートを受けて真っ直ぐ進んでいく姿を見て羨んでは、進むどころかマイナスをゼロに戻す作業で動けないでいる自分と比べて、焦燥感で苦しくなったこともあります。 
すごく惨めで、泥のような気持ちでした。
そういう私でも、ちゃんと嫌なものから離れて、適切な環境で自分や社会全体を苦しめているものや支援の存在、SOSの出し方を学び、周囲の人からの温かいサポートを受けられたことで大きく変わることができました。  
大学で出会った友人たちと私、そして小学校・中学校で出会ってきた一部の友人たちをこれまで隔ててきたものは、本当にただ環境と選択肢だけです。 
そう思うにつけ、とてもやるせない気持ちになります。 
※補足ですが、私に学問の喜びやかけがえのない友人を与える機会を開いた「大学」に4年間通うために私は約600万 の(返済の必要な)奨学金を借りています。 

 生育環境や経済条件で希望の進路、選択肢をとれず、死にたいと感じながら生きている友人を何人か 知っています。 
この状況をどうにかしたいけど、どうしたらいいのか分からなくて、やってみてもなんだか上手くいかなくて、泣き暮らしている人も知っています。
優しくて手先が器用で創造力のある彼女たち・彼らは、皆日々の生活に追われて疲れていたり、借金とストレスを抱えたりして暮らしています。
「周りの人に迷惑をかけたくない、見捨てられたくない」そう言ってSOSを出せないでいます。

あなたは何を感じていますか。  
 今、豊かな/快い暮らしをしている人、貧しい/苦しい生活を送っている人、それは自己責任でしょ うか。
運の良し悪しでしょうか。
違います。
差別や抑圧、格差は人為的なものです。 
決して個人の責任でも運でもなく、私たちが生きて、日々形作っている社会が生み出している問題です。
私たち一人一人は与えられた環境と選択肢によって大きく影響を受けます。 
私は、十数年分の人生が育った環境によって失われてきたようにも感じています。 
それだけ社会の生み出す外的要因に人は左右されています。

 しかし、だからといって何もできない無力な存在ではありません。 
その影響や与えられるものの差異をできる限り小さくしていくことは、私たち一人一人に委ねられていますし、自覚しているかにかかわらずそうした責任を負っています。 
弱くていろいろなものの影響を受けやすい私たちが、それでも誰もが生きやすい社会を作るために動かなくてはなりません。 
私たちが毎日行っている「伝える、食べる、移動する、同調する、固辞する、考える、生み出す...」 こうした行為一つ一つが選択の積み重ねであり、その集積が社会を維持し、壊し、創造しています。

 差別や抑圧、貧困を終わらせ、誰も見たことのない世界をつくれるのは、これを読んでくれているあなたであり、書いている私です。
 私は、さまざまな意味で「貧しい」ことの恐ろしさや環境によって人は何にでもなれるし夢を見られることを実感を伴って知っています。 
しかし、そのことを考えるとどうしても過去の記憶が蘇ってきて、頭がぼーっとなって、動悸がし て、あまり動けなくなってしまいます。 
おそらく、私がまだ過去の経験をケアしきれておらずあまりにも問題との距離が近づきすぎて、苦しくなってしまうんだと思います。 
他方で、そういう経験をした私だからこそ、経済的格差や児童福祉の問題に積極的に関わっていった方がいいのではないかと思うこともあります。

 今はまだ児童福祉支援に深く関わることは難しいのですが、ずっとこの課題から目を逸らし続けることはできないだろうと感じています。 
そのため、今はこれまで関心を持ってきた差別と抑圧の問題解決に取り組み、ゆくゆくは貧困や児童福祉の分野にも携わっていきたいと考えています。

 ここまで読んで下さってありがとうございます。 あなたは今何を感じていますか、考えていますか。 そしてこれからどうしますか。

 もしみ・らいず2見学会のnoteを読んで活動に関心を持った方は、ぜひ現場に足を運んでみてください。 
み・らいずパークを訪問させていただいて初めて私は幼少期の経験を思い出し、児童福祉に繋がるべき状況にあったのだと認識しました。 
現場を見て、生の温度や関係性、支援の奥深さを知ることで、あなたの抱えている課題が社会の問題と繋がっていることに気付けるかもしれません。

 NPO法人み・らいず2では随時ボランティアの募集や、施設見学会を開催しています。 
気になった方は、ボランティア募集ページを覗いてみてくださいね🐈


参考サイト(2022/10/05最終閲覧)

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