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母の愛に気付かされて

「お母さんも、自分のお母さんにおんなじごつしてきたもんね」


高校生の頃だったであろうか。

あの頃の私はひどくわがままで

家の中では家族とろくに口も利かず

帰りたいときに帰り

食べたいときに食べ

父や母に冷たい言葉をたくさんぶつけた


大変わがままで、勝手な娘であった




当時、そんな私に母は

「"こまこ"とどう接していいかわからん」

と言って、泣いていた


それでも私はやめなかった

後にひけなくなっていた



そんな日が続いて、ある日の晩

「お母さんも、自分のお母さんにおんなじごつしてきたもんね」

母は、私の前でそうぽつりとつぶやいた


「だけん、自分にかえってきよるっちゃろう」




正直に言うと、当時の私の気持ちは

「へぇ、お母さんもおんなじだったんだ」

ただそれだけであった。



・・・入籍して1年とちょっとが過ぎて

主人と互いの想いをぶつけ合うことも増えた


声を荒げ、好き勝手に言葉をぶつけ合うこともあった


”ぐさっ”とくる言葉をぶつけられると

心にぽっかり穴が開いて

思い出たちが黒く塗りつぶされる


もうだめだ、と力なくしゃがみこむ

とことん、闇である


「なんであんなにひどいこというんやろ」


「傷つくってわかるはずなのに」


すると、真っ暗になった世界で、ふと母の声が聞こえてくる


「お母さんも、自分のお母さんにおんなじごつしてきたもんね」


涙目でうつむいて、ぽつりとつぶやいたお母さん


あの日の母に出会った



・・・お母さん、私今とても苦しい

言葉に傷ついて、とても悲しい


けれど、私、お母さんにおんなじことたくさんしてきたね

きっと、ずっとずっと我慢して我慢して

ごはんつくって、笑って見送って、そして迎え入れてくれた

たとえなんど拒絶されても



自分を責めれば、相手を責めずに済むけれど

お母さん、すごくきつかったやろうな


・・・真っ暗な世界の中で、あの時の母への想いが溢れた


そして怒りや、悲しみが形を変えて自分のもとに返ってきた


”向き合いなさい”と第三者の自分に言われた気がした





気が済むまで反抗期を過ごした私は

お母さんを誘ってよく出かけるようになった


「お母さんのこと、誘ってくれて嬉しい」


そういって泣き出すお母さんに

なんで泣くと?といって笑ったりしたけど

今ならお母さんの気持ち、分かる気がする






今日は私の大切な母について書かせていただきました



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コロナのことがあっていいとか悪いとかではないけれど

時間の流れをゆっくり感じるようになりました


ひとつひとつの出来事、相手の言動に向かう自分に

わずかでもこれまでより余裕があることが

気付きに繋がったのではないかと思っています


心に余裕を持つことの大切さを実感しています

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