要介護祖母の備忘録③ 22年秋〜22年12月半ば 自宅でのサポート〜いよいよ一人で動けない

22年夏に祖母の財産に関するトラブルが立て続けに起こり、その時の本人の鬱状態や記憶力•認知力の低さから認知症が発覚したことまでは書いた。
なんとか状況を打開したく、一人暮らしの祖母をサポートするための体制を築こうとしたものの、すぐ限界を迎えて施設入所に至ったところまで何回かに分けて書いていきたいと思う、
ここまで伝聞形式の話ばかりだったが、祖母と実際に接してみて感じたことの話が主になってくる部分なので書きたいことが多い。


22年秋 祖母79歳 自宅でのサポート

夏場のトラブル続きの後、祖母の認知症は「限りなく中度に近い軽度」と診断された。
軽度の範疇に収まっているとはいえ、もう祖母には本人が大ダメージを負うようなトラブルなしには一人暮らしはもうできない。

秋口から母は片道3時間かけて、車で月に一度以上帰省するようになった。
祖母の様子を見にいくのはもちろんだが、施設入所を拒まれている以上、自宅でもなんとか生活できるように対策していかないといけない。

まず、苦渋の決断だったが、祖母の車を売り、免許を返納した。
車がないと生活が難しい田舎のため、当然祖母は抵抗した。
趣味がイオンモールでのウィンドウショッピングなのに。最寄駅に行くにも車で数十分かかるのに。
しかし、それ以上に今の認知度で祖母が安全運転できる保証はもうない。事故を起こせば命が危ないのはもちろんのこと、最悪他人に危害を加えることになる。
日用品の買い物なら、まだ身体は余裕で元気な祖母なら歩いて5分のスーパーに行けるし、日常生活での支障はないはず。
母がシルバー料金で使えるタクシーのことも説明し、タクシーを呼べる電話番号を書いたメモも電話機の横に貼り付けたら少しだけ落ち着いた様子だった。
それでも、たびたび祖母には「車を奪われたせいでどこにも行けやしない」と恨み言を言われていた。

次に、宅配弁当の手配。
祖母の普段の食事の様子を改めて確認すると、料理をした形跡がほとんどない。
祖母をわざわざ買い出しに連れ出してくれるお友達に訊くと、スーパーでもお菓子ばかり買っているらしい。
元々細身だったのが少しふっくらした気がしてきたのは、大好きだった料理すらめんどくさがって甘いものばかり食べるようになっていたからか。
宅配弁当を頼んで、毎日決まった時間に弁当を自宅まで届けてもらうことにした。
宅配担当者は軽く雑談にも応じながら体調も確認してくれるようだから、すっかり家を出なくなってしまった祖母にとっても刺激になるはず。

最後にWi-Fiの手配。
これは祖母のためというより、私と母のためだ。
今後、私も母も祖母宅でリモート勤務しながら祖母の様子を見ることも増えるだろうから、Wi-Fiがないと困る。
Wi-Fiの登録はソフトバンクで祖母名義で行ったが、これがまずかった。
母が関西に帰宅するとまた祖母からの電話が止まらなくなってしまった。
「ソフトバンクできっと自分の大切な個人情報をよくわからない書類に書いてしまったに違いない」「絶対に口座番号やパスワードからお金を盗まれるに決まってる」「そもそもWi-Fiってなに」
とにかく、少しでも複雑な契約をすると、自分が金銭的に損をすると考え込んでしまい鬱状態になる。
どれだけ丁寧に誤解を解こうとしても、余計に悪い方向へ想像が膨らんで祖母自身が辛くなってしまう。

最終的には、認知症と不眠症向けに処方された薬を飲むということだけでもパニックを起こすようになった。
カレンダー型のピルケースに入れて管理しても誤って何日ぶんも飲んでしまうので、「大事な薬を紛失した」と誤解してまた母に電話する。

この頃から、祖母からの母への発信回数が1日平均30件を超え、ひどい時は50件ほどにも上るようになっていた。
祖母は機械音痴なので、スマホで電話の受発信はできても履歴は見れない。
だから、自分の度を越した発信回数を省みることはできない。
非常識な時間帯に電話をかけてしまっていても自覚はない。

22年12月頭 祖母80歳 腰の圧迫骨折

12月頭、昼ごろに祖母から母に電話があった。
ひどく興奮した様子で、また要領を得ない喋り方になっている。
ご飯を食べようとしたら椅子から落下したらしい。
それまですっかり沈み込んだ口調でボソボソと喋る電話ばかりだったのが、なんか元気ではある。
ご飯も美味しく食べている様子だし、口調も元気なら軽い打撲で済んだということのはずだ。

母は念の為、親族のLINEグループに祖母の様子について投稿した。
すると、祖母の妹とその長女がすぐ反応してくれて、祖母宅に向かって一泊してくれるという。
母と私も怖くなり、日帰りで祖母宅に向かうことにした。

夜8時に到着すると、祖母は妹と楽しそうに談笑していた。
ここ最近の鬱々した様子と全く違う朗らかな様子に心底ホッとし、そのまま弾丸で帰宅した翌朝に親族グループラインに投稿があった。

「おばあちゃん、2階にある寝室のベッドから自力で起き上がることができません」

祖母は世話好きな反面、他人に世話をされたり心配をかけたりするのが大嫌いだ。
だから、ご飯を食べようとして椅子から落下した時のことを「ご飯を食べさせようとしたらなんか椅子から落ちた」と、あたかも自分が誰かを世話していた時に発生した事故のように表現していたのだと思う。
椅子に座ったり、杖もつかずにスタスタ歩いていた祖母が腰を圧迫骨折していることに私は全く気づけなかった。

22年12月半ば 祖母80歳 いよいよ一人で動けない


祖母宅に私と母が2週間分の着替えを持って到着すると、やはり祖母妹と長女のおかげで祖母は機嫌はいい。
だが、ベッドから起き上がるのにも祖母妹の介助付きで30分はかかる。
起き上がろうとするだけで激痛が走り、ところどころお水休憩を挟まないとトイレにすら行けない。
水を飲めば飲むほど、トイレも余計近くなるのだから地獄のようだと思う。
整形外科に発注した特注コルセットも年末までは手に入らないのだから、祖母には既製品のコルセットと湿布で我慢してもらうほかない。
この骨折はそもそも自然治癒力で完治を目指すものだ。
祖母妹の長女が、祖母の弟に頼んで二階から1階の和室にベッドを下ろし、ベッドも腰が楽なように色々改造してくれていなかったらもっとひどいことになっていた。

一度ベッドに寝転がると起き上がるのに苦しむのだから、安静にしていないといけないのに祖母は椅子に座っていたがる。
実際、椅子に長時間座っていると骨折しているのが嘘のようにスッと立ち上がり、一人でトイレも風呂も入れる。
言い訳になるが、この様子だから私は圧迫骨折に気づいてあげれなかったのだとまた思い出す。

椅子に座ってばかりもいられないからベッドで昼寝も自然としてくれるが、ベッドから起き上がるたびに痛くて悔しくて、祖母はボロボロ泣く。
それでも、みんなで用意した食事を前にすると険しい表情のまま、「おいしそうだあ」と言ってたくさん食べてくれ、いつのまにか機嫌も治ってる。
このリアクションが嬉しくも複雑だったのは、祖母が私のことをまだ料理のできない中学生だと認識しているからこその反応だと分かったからだ。
自分の年齢ともうすぐ結婚することを伝えると「料理もできないのに嫁が務まるのか」と心配してくれた。

反省点 気づいたこと
•家での軽い転倒事故がお年寄りには大怪我につながる。骨折というと不自然な方向に関節が曲がってポキッと折れてしまう様を想像していたが、圧迫骨折は上から下に向かって力が加わり、「グシャ」に近いものらしい。本人が平気そうでも用心が必要。

•物忘れも悪いことばかりではない。悪い出来事から学習できずに何度も傷つくだけではなく、同様に良いことは何度でも新鮮な気持ちで喜べるのも物忘れの力だと思う。


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