偽善に依存する米国(民)
ソ連への威嚇の為に落とされた、広島/長崎原爆投下の悪魔的性質と犯罪性、そして #道徳的選択 の時代
1945年8月6日と9日に米国が、広島と長崎で20万から30万人の罪のない日本の民間人を原子爆弾で殺害したとき、それは(意図的)でした。
それは兵器の性質上前例のない、しかし虐殺行為としては前例のない邪悪な国家テロ行為でした。
広島と長崎への原爆投下に先立って行われた米国の日本都市へのテロ爆撃は、悪名高い#カーティス・ルメイ 少将が指揮し、また意図的に日本の【民間人】を狙い、数十万人の日本人を殺害しました。
死者数が800人から1,600人と推定されるピカソのゲルニカの隣に、空襲で破壊された東京を描いた、米画家による絵画がありますか?
東京だけで10万人以上の日本国民がナパーム弾のクラスター爆弾で焼死しました。
この殺害は全て意図的だった。
繰り返しますが、意図的な実験だったのです。
これは極悪非道な行為ではないのですか?
悪魔的ではないのでしょうか?
爆撃を免れた日本の都市は僅か5都市でした。
原爆投下は意図的な実験的大量虐殺であり、歴史の記録が十分に証明している様に、戦争を終わらせる為ではなく、
【日本国民に対して行ったのと同じ事を、ソ連に対しても行えるというメッセージを送る為のリハーサルだったのです。】
トルーマンは1945年5月に日本の降伏意思を容認出来ないものにしました。
彼と国務長官の #ジェームズ・バーンズ は ソ連にメッセージを送る為に、原爆を使いたかったからに他なりません。
バーンズの言葉を借りれば、『出来るだけ早く結果を示す為に』
こうして太平洋での【善良な戦争】は終わり、【善人(米国)】が何十万人もの日本民間人を殺害し、【悪人(日本)】へ主張を通すという形で終わりました。
それ以来、米国の敵はすべて悪者扱いされてきました。
ロシア恐怖症は新しいものではありません。
『 悪魔は常に他人の顔を被っています。』
平均的な米国人は無邪気な(振り)をしています。
彼らは次の選挙で国が正しい方向に(回復)されるという幻想に興奮するのです。
しかし、米国に正しい道などありませんでした。
力こそ正義というなら別ですが、米国の支配者達は常にそうしてきたのです。
今日、トランプは多くの人から異常者とみなされているが、彼はそれとは程遠い。
彼はトウェインの短編小説から抜け出してきた様な人物だ。
彼はヴォードヴィルの男だ。
彼はメルヴィルの詐欺師だ。
彼は(私達)だ。
彼に執着する人々は、もし国を所有し運営している人々が彼の退陣を望めば、彼は一瞬で去ると考えた事があるでしょうか?
彼は馬鹿げたポストを繰り返し、翌日には矛盾するメッセージを延々と発信出来ますが、超富裕層を保護しイスラエル支配を受け入れ、CIA軍産複合体が世界中で殺害と国庫の略奪を行うのを許す限り、国民を楽しませ興奮させる事が許されています。
【疑似】討論で国民を興奮させる事です。
そして、これを更に面白くする為に彼は、暗殺者の笑顔の様に無害な意図を持つ「正気の」民主党の反対派に反対されるだでしょう。
出来る限り過去の米国大統領を振り返って下さい。
彼らは【命令に従って行動する】象徴的な存在です。
エイハブが(邪悪な)巨大な白鯨を殺したいという欲望に駆られてそうしたように。
すると何が見えますか?
邪悪な力に捕らわれた卑屈な殺人者が見えてきます。
磨き上げられた顔をしたハイエナが見えてきます。
厚紙のマスクが見えてきます。
これら大統領の一人が自分の良心に従い、大統領の殺人最高責任者としての役割である、悪魔との契約を拒否した唯一の機会に、JFKは公衆の面前で脳を吹き飛ばされました。
邪悪な帝国は流血によって栄え、悪魔のメッセージを通じてその意志を強制します。
抵抗すれば路上に血が、
線路上に血が、
そして顔に血が流れるでしょう。
これほど多くの罪のない人々を故意に虐殺する男達を、どう表現すればいいのでしょうか?
アメリカの歴史は今日に至るまで、その様な例で溢れています。
イラク、アフガニスタン、リビア、シリア.....リストは非常に長いです。
国を所有し運営し、一般人の魂を買収し悪魔との契約に参加させ、彼らの進行中の、邪悪な行為を黙認させようとする男女によって遂行された残忍な戦争。
この様な恐ろしい悪は、1945年8月6日と9日ほど明白ではありませんでした。
広島と長崎への原爆投下によって、世界に解き放たれた悪について深く考えない限り、私達は逃げ場のない、生き地獄に迷い込む事になります。
永遠に終わらないのです。
そして、私達は代償(子供達)を払う事になります。
私達は罪のない人々を殺す事が、子供の遊びである様な人々の支配を徐々に受け入れ、真実には耐えられない無実で善良な子供を装ってきた。
『確かに、地獄への最も安全な道は(緩やかな)道だ、なだらかな坂道、
柔らかく急な曲がり角もなく、マイルストーンもなく道標もない道』
それが、私達が歩んできた(羊)の道です。
黙認は容認となり、例外なく子供達に召集令状が送られます。
時間がもうありません。
彼らは死ぬ為に産まれ、育てられたのですか?
他人への悪の投影は、長くは続きません。
自分の影を取り戻し、我々はこの投影を撤回しなければいけません。
大袈裟ではなく世界の運命が、それに掛かっています。
道徳的選択の時代。
Global Research,Edward Curtin抜粋+加筆
読んで頂き、有り難うございます。