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ライフストレスケアの立ち位置と心理士を目指す人が増えたことの疑問

心理士(師)を目指す人が増えているように思う。
ご本人に伺ってみないと動機は分からないが、他の専門職として活動している方が多いことも不思議だ。
社会の何かの変化を示しているのだろう。
成功や営利を求める層とは別のニーズがそこにあるのか。
分業や専門性はともすれば人間を全体としてとらえるのではなくて、業務のための業務となってしまう。そこを危惧しているのか。
それなら福祉の仕事でも良いと思うが、もっと「心」の問題に関わりたいのだろうか。
このような答えの出ない問いを持つのは私がストレスケアの領域で仕事をしているからだ。
その立場でいえば「心」にこだわることは身体との関係、生活環境との関係、そして生き方や人生としての主体性などを進めるうえで問題があると感じている。
私は心理学を生活に落とし込むことにむしろ危険性を感じている者なのだ。
それゆえに、心理士が増えて社会に浸透していくことが気になっている。
かつて、この現象を「心理学が社会に広まるのは終わりの始まりだ」と書いたこともある。
科学を生活全般に入れていったときに、遅れていたのは心の分野だった。
そこまで科学主義が入っていったときに、とうとう壁がきて、パラダイムの転換が起きると予想したのだ。
そして、私はその次にくる次世代の人間学を用意することをライフワークとすることにした。
自由な主体性を大切にする人間学。答えは自分で決めていく生き方。
新しい生き方を探しているはずなのに、きまった科学的な既存の答えを求めてしまう現状はどこかおかしいと感じる。
テーマは固定された心と自由な心だ。
心という言葉を使うことですでに特定の人間観に固定される。
だから自由な主体性と呼ぶ。
この文章はそのような自分の立ち位置の再確認だ。

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