私の学生時代の"波"から得た経験
見出し画像 : 長門市の海岸 穏やかな波ですが人生はそうばかりはいきません
Note初投稿です。
私はこれまでNoteで多くのクリエイターに楽しませて頂きました。今度は、私のノウハウ・経験を様々な方々に私の思いを伝えていきたいと考えており、Noteを書き始めようと思いました。
初回はアイスブレイクも兼ねて、私の学生時代までの人生を振り返ります。
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【筆者について】
・出身地 → 山口県下関市
・仕事 → 電気・電子系
・趣味 → 旅行,ロシア語,中国語,登山,写真,ジョギング,手抜き料理,研究など
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【私の伝えたい事はこれだ!】
1.自分の得意に気づくと自信がつく!
2.継続する事で成果がでる!
3.成果や経験、自信は人の信頼にも影響する!
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それでは本文を始めます!
【~小学校入学まで】
・山口県豊浦郡豊浦町に生まれる → 旧下関市へすぐにお引越し
・電車や生き物が好きで散歩は線路沿いや自然の多い公園が多かった
・母親が学生時代に使っていた地図で国旗や地形を覚えていた
・保育園では周りの子と喧嘩する、暴れん坊だった
保育園児の頃、母親が中学生の時使用していた古い地図がありました。その地図で国旗を見たり、線路や道路の線名・番号をよく私は覚えていたらしいです・・・。乗り物図鑑が好きで、ブルートレインのページにものすごく張り付いていたよう・・・。
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【小学生】
・自由研究でセミ図鑑、下関市の駅・道路図鑑を作った
・北洋漁業船の船員の祖父から、寒い国の話をよく聞いた
・英語と水泳を習っていた
・小学校2年でwindows98を父にねだり、使いこなす
・高学年では美化委員に立候補し、学校の環境整備に努めた
・オセロや百ます計算が得意で、宿題も家に帰ってすぐやるタイプだった
・小6で精神的に不安定な時期があり、親や友達に心配をかけた(クラスのリーダーに無視されたり、心無い言動をとられた)
↑祖父と鹿児島を訪れたとき
祖父は私にロシアやノルウェーでの北洋漁業・海洋通信の仕事、英語などの外国語についてよく話してくれました。また、電車好きな私の事も考えてくれ、鹿児島や大阪・岡山など多くの土地に連れ出し、「この町にはどんな名物があるかな?」「 あの海は瀬戸内海かな?太平洋かな?」「おじいちゃんは、14:00までに大阪駅に到着したいけど、時刻表で列車を調べてみてくれないかな?」と質問をよく投げかけ、プランを練る能力・地理的感覚・課題解決力を育んでくれました。このころから外国や言語についても興味が芽生えたのでしょう。
父が早くPCを購入してくれたことも、私が電子情報技術を習得したいという思いを持つきっかけとなりました。当時はyoutubeも無く、おもしろFrashをよく見ていた記憶があります(笑)
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【中学生】
・部活は本気になれずさぼり気味だった
・数学が超苦手だった それも100点満点で2点をたたき出すほど
・勉強も150人中 70位くらいとごく普通の中学生だった
・Twitterを始める 当時は、フォロワーの量に拘り傍若無人な振る舞いを していた
・生徒会の環境委員長に立候補したが、選考に落選
・視聴覚委員に仕切り直しで立候補し、委員を担う
・PCや電子機械が好きだった事もあり、地元の工業高校に進むことを決意
↑当時、九州新幹線が開業し、もう中学卒業なのかと感じていました
中学生の頃、Twitterやニコニコ動画などでクソリプやしょうもないコメントをしていました。当時は、フォロワーを増やす事しか頭になく、今思えば、「人は量」という残念な考えでした。
勉強も目的がなく「やる意義」を見失っており、部活も面白いと思わず、さぼってばかり・・・。おまけに、環境委員長の選考で落選(まあ、当然ですが)
しかし、落選した事で気づいた事がありました。それは、私が何も継続して行っておらず、実績がない。当然、人からも慕われないし指導力も無い。
そこで中3になったら、何か成果を出そうと決心したとき決め、放送委員に立候補し、1年間仕事をやり遂げ、体育祭のBGM選びやお昼休みの校内放送などを委員会で工夫し・改善したりしながら、チームで達成する喜びを噛み締めました。
さらに、高校生では勉強の継続性や指導力を身に着けようと決心しました。
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【高校生】
・学級委員と選挙管理委員に立候補 3年間卒業まで務め上げる
・生活班の班長を3年間立候補し、クラスの生活班編成を担当
・電気工事士や工事担任者を取得するため、毎朝7:30に学校に登校
・テストでは1年の2学期から3年の学年末テストまで学年1位をキープ!
・Twitterは量より質 量が多くても信頼がないと繋がれないと気付く
・部活は運動部にはいるも土日も練習とハードで挫折 文化部へ入部
・通信ネットワーク構築やプログラミングの面白さに気づく
・修学旅行では、班員の意見を聞き、得意な旅行計画策定を担当
・文化祭ではクラスで役割分担を決める役目を担う
・就職試験では社会的影響の大きい仕事がしたいと思い、会社を選定
↑修学旅行で訪れた東京
まず、学級委員・班長・選挙管理委員を3年間務め継続できた事、勉強でもほとんど首位を取れたことから、精神的にかなり成長したと感じた時期です。中学時代はできなかった継続する事、成果を出す事ができたのです!
この頃、政治や歴史にも興味を持ち、世界史や世界大戦、共産主義・社会主義とは何か、資本主義の制度、各国の政治選挙制度などの本やネット記事を読むようになりました。主に領土問題交渉や改革を解決してきた歴史のリーダ達(長州藩の歴史志士・新渡戸稲造・杉原千畝・レーガン・レーニン・チトー・鄧小平など)が実施してきたことを意識し、私も試行錯誤を練り、学級委員を担いました。
班長の仕事では、1年間過ごす生活班や実習班の班員(7人×4班)を決める会議を班長4人でやるのですが、これがとても大変で、仲の良さ・学力などを考慮し決めないといけませんでした。文化祭の仕事分担も同じく、人の適性を見て仕事も分担しなければなりません。
民主的に広く意見を聞き否定しない姿勢で、班編成・業務分担をしましたが、当然反対意見も出るでしょう。ここでは、何事も評価してくれる者も居れば、批判する者もいる事、どこかで妥協点・折衷案を出す大切さを身をもって体験しました。それに、私自身が小学6年生の時に精神的な不安を経験した事もあり、同じような状況にしてはいけないと考え、班員への言動、業務の依頼の仕方では「3秒考えて」言葉を選び発言するよう心掛けました。
修学旅行の旅行計画策定では、祖父が鍛えてくれた地理能力、母の地図帳で読み取った路線図が役立ち、自らの得意分野を把握できたのです。これも、1つの自信となりました。父の与えてくれたwindows98もプログラミングの研究や通信ネットワーク、シーケンス制御などに興味を持つきっかけを与えてくれ、電子工学への興味が高じる始まりでもありました。
勉強についても、数学を知れば「仮説・理論が立てれる」「物事の本質が分かる」、国語を知れば「文章が正しく書ける」「論文を書いて世の中に意見を出せる」など自分にとって必要なものという認識が生まれ、興味も持って学業に取り組み成果も出ました。目的意識を持つ事は本当に大切です。
物事に継続して成果を出す事をすれば「あいつは真剣だ」、意見を幅広く民主的に聞けば「私の考えを受け入れてくれた」、勉強の意義を見出せば「あいつに聞いたら分かるよ」と周りも信頼を置き、そう言うようになります。
お陰様で、就職試験も倍率が多い中、自信をもって面接で成果を伝える事ができ、無事採用され今に至っています。
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【まとめ】
初めての投稿で要領がつかめず、グダグダな文章になってしまったかもしれません・・・。
しかし、私の伝えたい事は
1.自分の得意に気づくと自信がつく!
2.継続する事で成果がでる!
3.成果や経験、自信は人の信頼にも影響する!
この3つです。学生の方や、私と同じ若い世代の皆さんは共感して頂けることもあるのではないでしょうか。
最初に書いた趣味は、
旅行・・・計画力をつける・未知の場所における問題解決力
ロシア語・中国語・・・旅先のパートナーと意思疎通し信頼を得る
登山・・・危険や苦労を乗り越え、素晴らしい光景を得る
写真・・・1枚の写真でも人により多様な意見がある。見方も違う
などとこれまでの私の経験で得たことから始めた趣味が多数です。いつの間にか、関係ない事柄が点と線で結びあって今の私の頭の知識として蓄積されています。
今回は広く浅く、私の自己紹介も兼ねて書いてみましが、今後は狭く深く、仮説→検証といった内容も作ります。
次回は「新入社員時代に感じた違和感」というNoteを書きたいと考えています。
慣れない記事ですが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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