醍醐味
今日でnoteに連続投稿して10日になる。
一日一つテーマを決めて文章を投稿しようと決めるだけで、今まで気にも留めなかった現象や出来事が私の思考と指先を通してこうして文章になって投稿される。
テーマを決めたらすぐにiPhoneのメモ帳や目の前にある裏紙にアイデアを書き留める。それを家に帰ってからパソコンを立ち上げて一気に打ち込んでいく。調子の良い日は500文字超えは余裕でできるが、そうでない時はとても辛い。まず家路に着くまでにその日に投稿する内容を思いついていないこともある。それでも書くためにパソコンを開く。白く何もない画面に上手くまとめられなくても書きたいことを連ねていくだけで頭が整理されていく。
そうして、私は今日まで10日間noteに投稿することができたのだ。noteにずっと投稿している皆さんは「10日そこらでそんなに喜ぶか」とか「10日でそんなに胸を張るな」なんて思うかもしれない。だけど私は何をしても3日坊主よりも短い記録を叩き出してきた。マッサージや白湯を飲むだとか、そういう類いのものは3日と続いたことがなかった。だから私は過去の自分の超えたのだ。
ではなぜ私はこのnote投稿は10日も続けてこられたのだろうか?
その理由は、やっぱり何かで身を立てている人は一日たりとも落としていないという事実だ。それに、続けてきたことを反故にすることは自分を裏切ることになる。ああ、できなかった、忘れてしまった、というマイナスの感覚はいとも簡単に人間を不信に突き落とす。たとえそれが自分自身だったとしてもだ。それに、10日間連続で投稿してきてわかることや、掴んだ感覚があった。
それは「楽しい」だ
まずはnoteでのスキ・コメント、リンクを貼ったTwitterでいいね、とても活力になります。ありがとうございます。
こういったリアクションをいただく中で新しい発見もあったりする。自分がこれは良く書けたと思う投稿がなかなか伸びなかったり、意外なテーマが伸びたりする。これは自分では見えないところだから本当に勉強になる。
また、こうやって書こう!と思ってアイデアを指先から画面上に起こしている時にもだんだん考えが変わってきたり、こういう言葉を使ったら面白いんじゃないか?と思ったりして、人間の頭の中ってすごい動いてとんでもないところで繋がったりして、すごいなと思う。これは毎日書いたり考えていないと出てこない感覚だと思う。
もう一つ私がnote投稿を続けられる理由がある。
それは、連続で投稿すると「○○日連続です!」という激励のコメントがつくことである。単純な気もするが、人間は肯定されたり、賞賛されることで満たされる。次も頑張ろうと思える。ラジオ体操のスタンプと同じ原理である。スタンプが貯まっていくことが自分が毎日頑張った証になるのだ。たとえシステム上の仕組みだとしても、見てくれている人がいるだけで、肯定してくれるものがあるだけで人間は頑張れるのだ。
それに、今すぐに目に見える結果にならなかったとしても、毎日こうして投稿し続けるということは、私自身の書きたい!と思うアンテナを増やすし、語彙も知識も確実に増やす。それに、思考を文章にすることで自分自身と向き合い、理解することにも繋がる。
続けるは楽しい。楽しく思えることは醍醐味だ。出てこなくて苦しくても、とにかく書く。登山の感覚だ。まだまだ道半ば、これからどんな景色が待っているのだろう。楽しみだ。
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