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日記:20241102「詩と論理にまつわる小話」

 11月がやってきた。
 ぼくは玄関の扉をあけて溜息をついた。
「今年は随分とはやいじゃないか」とぼくはいった。
「失礼するよ」と11月はいい、のしのしとうちにあがりこんだ。かんじのわるい女性だな、とおもった。去年の11月もにたようなかんじだった。もしかすると11月はみんなおなじような女性なのかもしれない。けれどもおととしの11月のことはなんにもおぼえていなかった。ぼくの記憶は、火のよわい蝋燭のように、そばにあるものしかてらさなかった。

 11月とこれから1ヶ月間生活をともにするとかんがえると憂鬱な気分になった。10月をおもいだしてさみしくなった。彼をよびもどしたくなった。もちろんそんなことはできなかった。この世の掟としてたちさった月とは永遠に再開できない。だからもうぼくは10月の笑顔をみることはできない。

 ぼくはいつも、新たな月がおとずれると嫌なきもちになり、その月がたちさるころになるとさみしくなった。そういうことのくりかえしを毎月くりかえしていた。

 11月は床にすわるのが苦手らしく、ぼくが座布団を用意してもこまったようすですわろうとしない。糖度9.0の冬みかんも食べようとしない。しかたないので彼女を2階の自分の部屋まで招待して椅子にすわらせた。椅子にすわると彼女は足をくんで部屋をみわたした。

 10月は男の子だった。あいつはわがままなところもあったが、なんだかんだ、うちのやりかたにしたがってくれた。11月は自分のやりかたをゆずろうとしない。ぼくのうちなのに自分が法といわんばかりだった。2日目にしてすでにぎくしゃくしていた。

 ぼくが押入れのなかでこうして日記をかいているあいだも11月は椅子にこしかけて窓のそとをながめていた。窓からさしこむあかりが彼女の横顔をてらしていた。こうしてみると彼女はなかなか綺麗だった。さすがは月だった。しかしここでいう「綺麗」とはいわゆる容姿のことではない。ぼくがいまこうして言葉にかきとめようとしているそれは非網膜的光景なのだ。

「やっぱり月が恋しいものなの?」とぼくは11月にむかいたずねた。
「恋しいとはどういう意味?」と11月はぼくにたずねかえした。
「恋しいというのはそこにかえりたいという意味だよ」とぼくはこたえた。

 ぼくはそれから11月についてあれこれたずねてみた。おたがいのことを知りあうことで多少は仲良くなれるかもしれないとおもった。ぼくの質問に彼女は理路整然とこたえた。彼女は自分の性格についても、思想や信条についても、とてもわかりやすく説明することができた。しかもそれらはおおむね正しかった。一方でぼくは、彼女におなじようなことをきかれてもうまくこたえられなかった。

「あなたは曖昧ね、自分のことなのになんにも知らないみたい」と彼女はいった。それはぼくを馬鹿にするようないいかたにきこえた。
「きみこそ曖昧なところがなさすぎるよ」
「あなたが曖昧なのは嘘をついてなにかをはぐらかしているからでしょう」
「嘘?」ぼくはむっとしてこのようにいいかえした「嘘をついているのはそっちだよ。もし自分について、自分の本心について、とにかくそういうものをかたろうとしたら、そんなふうにわかりやすくなるはずはないんだ。きみはまるで影のない月のような顔をしているけど、ぼくがはなしてほしかったのは、影のほうなんだよ」

 ぼくたちはそれからもかたりあったが、全くわかりあえそうにはなかった。議論はかみあわなかったし、ぼくはもともと議論なんてしたくもなかった。それなのに彼女はやたらとどうでもいい論理──ほんと「どうでもいい」としかいいようのない論理──にこだわり、ぼくをいいまかそうとしてきた。

「きみはつまり」とぼくはいった。そしてこのようにつづけた「自分のほうが正しいといいたいんでしょ?」
「いいえ、わたしはどちらが正しいのかはっきりさせたいだけ」
「どうしてそんなことをきにするの? だったらきみのほうが正しいってことにしたらいいよ。ぼくはそんなのどうでもいいから」
「わたしが気にくわないのはそういう態度なの。議論を途中でなげだしてはぐらかす、あなたのそういう不誠実な態度が一種の知的怠慢におもえてならないの」
「……」ぼくはめんどくさくなり黙りこんだ。
「都合がわるくなるとそういうふうに黙りこむ」11月は鼻でわらった。
「……」11月にいいかえしても無駄だ。鼻から息をおおきくすいこんで心をおちつかせようとした。しかしどうにもむかむかしてしかたなかった。沈黙が長引くほど自分が負けたようなきがして悔しくなってきた。ぼくの口から言葉があふれだしてきた。
「きみはやっぱり影のない月のふりをしている。知性というあかりがてらしだすものだけをきみはかたっているにすぎない。それは世界の半分でしかない、いや、それは世界の半分ですらないよ。ほんとは世界のたいはんは暗いものなんだから。どうしてきみは、きみのなかにも、ひとのなかにもあるはずの、暗さをみとめようとしないのさ。どうしてきみは、なんでもわかりやすく説明しようとするんだろう。ぼくはきみが、どんなにわかりにくい存在だとしても、できるだけうけとめてみようとおもっていたのに」
「なにがいいたいのかさっぱりわからない」と11月はいう。
「ぼくたちは工業製品ではないんだから、説明書のような言葉では、かたりきれないはずなんだよ。自分をなんでもかんでもわかりやすい言葉で説明して片付けようとすることは、自分を安売りしているようなものだとおもう」
「説明書で結構。詩的ないいまわしは必要以上に物事をわかりにくくするだけだから。要するにあなたは世界を神秘化しているわけ」
「きみはまるで詩よりも論理のほうが世界を正確にとらえるとでもおもっているようだね。事実、世界は神秘なんだよ。きみのほうこそ世界を明晰化しているだけだ。ぼくにいわせるとそういうふうに明晰化された世界のほうこそ嘘にきこえる。それがいかに、わかりやすく単純明快だとしても、むしろそれがわかりやすければわかりやすいほど、よくできた嘘にきこえてならないよ。だってぼくからすると、きみが、11月が、こうしてぼくの部屋の椅子にこしかけていることそのものが、説明しようのない不思議な出来事なんだから」

「はなしにならないね」11月はそういうとたちあがりカーテンをしめた。部屋は真暗になり、彼女の姿はすっかり暗闇にとけこんでしまった。
 11月は部屋をでていった。扉のしまる音がした。喧嘩なんてしたくなかった。12月がおとずれるまで、おそらくぼくたちはわかりあえることもないまま、お別れするのだろう。
 ぼくはたちあがった。彼女ともうすこしだけはなしがしてみたいとおもった。しかしそんなことをしてなんになるんだろう。仮に、わかりあえたとしても、ぼくたちは12月がおとずれるころには、お別れしなければならない。だったらわかりあえないほうが、かえってましにもおもえる。わかりあえたらそのぶんお別れは悲しくなるだろう。
 扉のひらく音がした。ぼくは体をおこして押入れから顔をだした。「おやすみ」という声がきこえた。ぼくも「おやすみ」とこたえた。

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