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義父の命日 9月2日

 その日は、朝から大嵐だった。湯河原の療養病院へ義父(家内の父)は入院していた。公休であったボクは、今日はどうしても行かなければならないと思った。
 危篤ではないが、入院して半年経ったその日はどうしても顔を見たかった。普通なら30分もあれば着くが、悪天候ゆえ1時間半ぐらいかかった。
 部屋に行く途中、見慣れない樹脂でできた大きな注射器を目にした。ただ、義父に使われる物ではなかった。どうやら胃瘻の道具らしい。数年前に、転院延長の条件で実父に施されたことを思い出した。なんとなく、いよいよ義父が終末のように思えた。
 やっぱり来てよかったと思ったのは、義父の呼吸が荒かった。そして、ユーモアたっぷりの口話はなかった。朝9時に着いたが、昼頃にその容体は良くない方向に向かっているように感じた。
 家内にめったにしないケータイ電話で、仕事から上がり病院へ来るように伝えた。また、義父がとことん可愛がった息子二人へは、家族LINEで容体を伝えた。家内は3時頃に来た。荒れる呼吸に驚いた。夕方になると、義父は荒い呼吸だけで意識らしき様子がなくなった。
 これは、今夜が山場とボクは思った。そして、すき家に家族4人分の牛丼とサラダを買いに行った。戻ったのは夜7時15分頃だった。それから15分後に昇天した。残念なのは、可愛がられた息子たちが間に合わなかったことだ。
 二男が来た。いくぶん体力がない彼は、精一杯の力を振り絞り来た。そして、ベットの上でうなだれた。長男は、コンビニで日頃の趣向品をメーカーを違わず大袋二つ下げて来た。祖父への対応は記すまでもない。でも、家内への判断は正しくて良かったと思った。

 ボクは実父と義父を心から尊敬して止まない。文字を持たない実父は、生きるための心得を言葉と姿で教えてくれた。インテリの義父は、読書や書くことの大切さを教えてくれた。尊敬する二人の父は、何よりもボクの行動規範や判断基準のレフリーだ。縁あって、今は同じ菩提寺で住職が守ってくださっている。
 父の6月1日と義父の9月2日は心から手を合わせる日だ。西本願寺の末寺である菩提寺では、元気で働くことが一番の供養だと教わっている。だから、先日の休みに墓参りに行った。そして、平日の今日は、家族全員はいつもどうり勤めに行く。

かわせみ💎

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