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親友の命日

 年に一度やって来る8月8日は、親友の命日です。今日は45回目です。今も、あの時あの瞬間を忘れることができない。

 ボク達は、高校三年生だった。けっして真面目とは言えないが、夏休み中に受験勉強や陸上競技を毎日繰り返していた。

 かれはボクに受験勉強の必要性を教えてくれた。理由は明確だった。今やることは受験勉強だよということだった。学校が終わりクラブ活動がない日は、ボクの自転車に二人乗りで市立図書館へ行った。

 かれはボクにもたれかかるように、頭がいたいと言っていた。1か月くらい。それでも、図書館に着くと真面目に勉強してた。薬はあるのかと聞いたことを思い出す。

 ボク達は8月8日から二泊三日の陸上の合宿に行った。なぜか、皆沈んだ様子だった。それは後からの思いかもしれない。午後から、早速練習が始まった。

 合宿所は山荘であり、公認競技場まで5キロほどジョッグで向かった。柔軟体操から始まる練習はいつもと変わらない。ただ、公認の400mトラックは見事に感じた。

 初日の午後ということもあり、ほぼ普段と同じメニューをこなした。最後は名物のインターバル付き1000m×5本だった。3分20秒(100m20秒)が目安であった。

 皆はほぼクリアした。最後の5本目の時に、彼は、眉間の「青筋が切れてもトップになる」と言った。闘争心をむき出しにしない彼の発言に、ボクは驚いた。

 インターバルでトラックを一周した後に、最後の1000mをスタートした。そういえば、今日はトップをとっていないなと気付いた。彼は宣言どおりトップをとった。そして、フィールドの芝生に転がし込んだ。

 トップを労おうと、皆は彼のところに集まった。声をかけても返事がない。体はだらりとしていた。目を見たら、皆は言葉を失った。まもなく救急車が来た。それが、彼の最後の姿であった。


 ほぼ毎年お参りに行く。母校に彼の人柄を偲んだ石碑がある。全国高校駅伝の県予選になると、レギュラーは彼の墓参りに行く。

 先生・芸能人・医者・弁護士・政治家など各界で活躍している同窓生はいる。しかし、彼らよりも、母校でもっとも尊ばれいるのは人物はいない。

 凡人のボクではあるが、彼と親友で良かった。何か迷った時には、彼ならどうするのかと自問する。彼はボクのバイブルです。

 その日も今日も暑い。彼の石碑は東屋とともに建立された。多くの後輩は、恩恵を受けているず。

 なくなる10日前に、居酒屋で日本酒をともに初めてコッソリ呑んだ。二人で呑んだ思い出は一生の思い出だ🍶


かわせみ💎

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