「インヴェンション・オブ・サウンド」感想 暴力的なカタルシスの波を甘受する
インヴェンション・オブ・サウンド
読んだんです。チャック・パラニュークの「インヴェンション・オブ・サウンド」。いつ…?よく覚えていない。秋くらい?しかしここに、感想文らしい下書きがある。多分書きかけだったと思うが、ぼちぼち今年もおしまい。もうこんなの残してたってわかんなくなって消すことになって勿体ないので、公開しちゃおうという魂胆です。
ではざっくりこの本のあらすじからどうぞ。(以下、過去に書いたやつ)
何!?
あらすじの引きだけで「いつか読む」リストにぶち込んで忘れかけていたのだが、最近やっと読む気になり、2か月越しに読了した。積読の発酵期間としては短すぎるくらいだが、すぐ読む気になってよかったと思う。
最近すっかり読書が生活から離れてしまい危機感を抱いていたので、気になるものから手を付けて感覚を取り戻そうという魂胆もあった。
作者は「ファイト・クラブ」の作者らしい。宣伝文句が書いてある。なんか聞いたことあるな。中身は全く知らない。映画にもなってたか?まあ、いいか。
そんな適当な調子で読み始めたので、正直、刺激が強すぎて開始20ページくらいで閉じようかと思った。
あらすじからかなり過激である事はわかっていたし期待もしていたが、超久々の読書(前に本を読んだのは先月の初めにハリーポッターと怪盗クイーンをちょっと読み返した時だった)の初手でバリバリにセックスとドラッグと酒と暴力だったもんだから、流石に休憩しようと思った。しかし手を止められないまま一気に読んでしまった。あっという間だった。
読了して最初の感想は「少なくとも、読書リハビリにすべき本ではなかった」。深いため息が出た。でも面白かった。ほんとに面白かった。
ネタバレ(ほぼ)無し感想
※登場人物についての描写や、冒頭の大筋などはある
感想、といってまとめると何だか淡白になってしまう気がする。ここでは読んでいる最中に短い休憩を取ったついでで私が残していた(いわゆるTwitterをやってるオタクくさい、斜に構えたようでテンションが隠しきれていない感じの)ツイートを見てもらおうと思う。
痛々しいかもしれないけど、感覚を殺さないために生で提供させてもらう。人を選ぶ味だけど新鮮さが売りのお刺身だと思ってください。
ガチでビビっていた。後から調べたらパラニュークというこの作家はかなり癖の強いタイプの作家らしく、無知と前情報なしが幸いしたと言うべきか、何も知らないせいでクソビビったと言うべきか。とにかく、久々の遊園地でなんか楽しそうな列に並んだところ、かなりの絶叫マシンに乗せられていた。しかも癖が強く、落ちるタイミングの予想もつかない。しかも途中で降りられない。
しかし、このスピードとスリルに「これだよ・・・これ・・・!」と感じ興奮する自分を自覚していた。
気付いたら休むのも忘れて2時間のめり込んでいたあとのツイート。
多分中盤くらいだが、いよいよ視点の切り替わりが激しくなってきて、嫌な予感が加速する。内容や描写が気持ち悪いのは実際その通りなのだが、個人的な感覚としては乗り物酔いのようだった。目まぐるしく動く風景と、唐突に爆発をはじめる怒り、破滅、絶叫。不安定で嫌な感じのする波に乗せられて明るいのか暗いのかもわからない「この先」に連れていかれる。しかし不思議と拒絶感はない。破滅願望に近い何か、怖いもの見たさ、はたまた野次馬根性か。
あ、読了してる。もっとつぶやいた気がしていた。
余韻が凄まじく、少しのあいだ目を閉じてぼーっとしていた。訳の分からない、不快な高揚感。
ここで言う「最高」は、オタクの用いる多種多様な「最高」の中でも、「起きている事はなんら最高ではないし最悪、だがそれが良い」の意味っぽいな。
ちょっとだけ落ち着いてきて感想っぽいことを言い始めているが、今見返してもこれが個人的に一番しっくりくる感想だ。
すっかり落ち着いてからの考えも踏まえて言うと、
血みどろの光あふれた未来に帰結していく。蒙昧に日々を浪費し、抑圧された怒りを募らせる人間にとっては、誰しもが甘受したくなる物語だった。
・人間の持つ力
まとわりつくような不快感と暴力的なカタルシスだった。正常と狂気、友情と愛情に滅多打ちにされる。真実と嘘。欲望と理性。信じる世界と隠された真相。人を人たらしめるもの。
しかしそんな不快感を構成しているのは欲望と怒りと叫びだ。散々気持ち悪いと言いながらも、私はこの物語に、人間の持つ眩しい力を感じている。
人は醜いし、気持ち悪い。現代社会の中で人は何かと苦しんで抑圧されている。それ自体を悪だと感じたことは無いが、はつらつとした生命力らしいものは希薄かもしれない。そんな中にある、原始的な感覚に起因した、今を生きる人間が現代社会に揉まれながらも自分たちなりに持つ力。倫理的な是非や善悪はともあれ、社会的動物として強烈な力であるには違いない。
何度も言うように、気持ち悪く、面白い小説だった。
・アトラクションを乗り終えて
さて、そんな大変なアトラクションに突然乗せられて振り回されてぐったりした直後の私を見てみよう。
バッドトリップみたいな(もちろん実際の経験はないが)小説だった。ざばざばと悪夢を浴びせかけられては目を覚ます。不安な悩みがあるときの昼寝で、10分ごとに目が覚めては悪夢の短編集を見るときがあるのだが、それにどこか似ていた(本編は複雑に伏線が本筋で繋がり巧みに展開されていたので、支離滅裂な訳ではない)。
手が止まらなくて一気に読んでしまったが、読み終えてから心臓がぎゅっとなっていたことに気が付いた。喉もカラカラだった。かなりの緊張感があった。立ち上がったらめまいが酷く、ふらふらした。みんな、水分補給はしっかりしてね。本当に絶叫系のせられた人みたいだった。
・脱線 作者のウィキペディアがすごい
こんなイカれた話書く人間、いったい何者なんだろう と思い、とりあえずチャック・パラニュークのウィキペディアをざっと読んでみた。
評価が割れたり「カルト的人気」という書かれ方をしているあたり、やはりかなり尖った作家らしい。
しかし、問題は記事内の「家族」の項だ。一見して、家族に著名人でもいる故の項目かと思って目を通し、ビビった。
小説みたいなことが書いてある。これだけで彼の作風の根っこにあるものが垣間見える気がしてしまう。
ビビった~。
チャック・パラニューク
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%A9%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%AF#
ここまで基本ネタバレ無しでお送りした。初見で「インヴェンション・オブ・サウンド」にもみくちゃにされたい人はここまでで。
以下ネタバレありの感想です。
ネタバレあり感想
たぶん、この作品において重要なのは「怒り」だ。鮮烈な怒りは、抑圧された人間の純粋な力だ。アングラで、気味の悪い描写に包まれた、強烈なパワーとしての怒り。
・登場人物を介した曖昧な現実
私は、登場人物がいるとキャラクター萌え的視点を持ち出しがちだ。この小説は萌えと接続できるとは到底言いがたい作品だが、たとえばフォスターが公式(=字の文曰く)ハンサムらしいとかは、そうなんだ……と色めき立つ心があった。いいじゃん。身なりが整ってて、眼鏡かけてる、壮年のハンサムな男性が、バツイチで、娘が行方不明になってから何かおかしくなってて、若い女に成長した娘のふりさせてパパ活してるの。なにも良くないけど、顔が良いのにおかしい男って好きなんだ。
閑話休題。本筋を文学として受け止めて思考する裏で、そんな読み方をしてしまう自分がいる。そのせいで、救いようがないと悲しくなってしまう事が多い。いや、銃で人脅したり発砲したり、いろいろやらかした時点で救う余地はないのだが、哀れだとか嫌だとか思ったりしつつも、登場人物には愛着を持って接するのが好きだ。だから、「で、こんな事は本当(劇中)では無かったってこと」系のオチを突然やられると、めちゃくちゃ落ち込む。ショックで。嫌いではない。それもまた余韻であり、ひっくり返される感覚や小さな違和感と繋がっていく感覚には快感もある。筒井康隆の「パプリカ」でやられたことがある。
こんな小説、犯罪者と犯罪者の奇妙な運命を巡る物語に、ハッピーでさわやかな風が吹くとは流石に思えない。ドクターの存在が2人を繋ぎ始めた時点で、何だか嫌な予感がしてきた。「パプリカ」を思い出して、うっすら覚悟していた。どこまで、虚構だろう。どこまで、二人の思い込みなんだろう。
実際、どこまでが……というのは、曖昧だ。ミッツィは人殺しか?死体はあったのか?彼女自身の叫びか?とか。でもこの、文章に現れる描写の表層にしか触れられない、深く手を入れることがためらわれる感覚は、楽しい。文字を追うという行為でしか感じられない体験の醍醐味の一つだとも思う。正気と狂気が曖昧に絡み合った物語に重要なのは真実ではなかった。
以上、下書きに残ってた感想たちでした。うまいこと締めたい気もするが、今の私にこれを読み返す気力がない。でもめちゃくちゃ面白く、好きな作品だったのは違いない。この「滅茶苦茶にされてる!!」感、妙に癖になりそうだ。年末のお供にとは到底言えない雰囲気だが、興味あれば読んでみたらいいと思います。