国会議員の秘書 53(政治改革・細川総理、河野総裁合意)
衆議院の予算委員会では、筆頭理事の深谷隆司先生や野中先生は、閣僚のスキャンダルの追及の手を緩めることはなかった。そうして、与党の時には、質問をやりたくても出来なかったものも遠慮なく政府に対して質問をして糾されていた。相変わらず、政治改革という大義のもとに、政治資金の問題から選挙制度にすり替えられている議論に対しては、野中先生は、守旧派というレッテルを貼られながらも一貫して反対をされていた。そのような中において平成5年の暮れは、賑やかだった自民党の税制調査会も大蔵原案内示の作業も野党になってしまうと「こんなにも散々たるものか」と思うぐらい自民党本部では、活気のないものだった。何もやり様がなく、無気力な感じですらあった。「.野党になるとこういうものか」と痛感した。
年が明けると政治改革の議論が本格化して党内でも賛成派と、反対派が対立した。政治改革法案反対派が自民党本部で集まる会合が断続的に開かれ、その会合に私は、何度も代理出席をした。
今の小選挙区比例代表並立制や政治資金規制法を考えると私は、この時の守旧派と言われた先生方の主張は、間違いではなかったと思う。しかし、自民党が提示していた政治改革案(守旧派と言われていた先生方は一貫して反対)を細川総理はじめ、与党が受け入れるという形で土井たか子衆議院議長・原文兵衛参議院議長の斡旋によって国会終盤で合意するという形で決着がついた。
断続的に開かれていた守旧派と言われる先生方の会合では、当時幹事長をされていた森喜朗先生に対しての批判が集中していた。それは、自民党が政治改革案を出して、与党が受け入れるという形になるという情報が飛び交った。この守旧派と言われる先生方の会合では、たくさんの先生方が集まって声を荒げて反対されていた。その中でも幹事長派閥の清和会の先生方の発言が目立った。その光景を見て私は、「清和会の先生が反対の発言をされているが、何故、幹事長派閥の清和会の中でも阻止に動かないのだろうか?うちの先生が入っている経世会から幹事長が出ていれば、この会合で経世会の先生方ならそんな発言はしないだろうに」と率直に思った。どのような発言だったかと言うと「森幹事長が、政治改革法案を取りまとめて、与党と合意しようとしている。こんなことを容認していいのか!」と言う内容の発言だった。
国会も終盤を迎え、1月28日になり、土井議長の斡旋によって細川総理と河野洋平自民党総裁が、合意すると言う情報が入ってきた。この日は、夜になってから雪が降り出し、国会周辺もだんだんと白くなってきた。議員会館の各部屋は、灯りがともり、いつもとは、違う感じで与野党ともに、各事務所は待機していた。第二議員会館の301号室の野中広務事務所も奥の部屋に野中先生がテレビをつけてソファに座りながら観られていた。私は、入口側の秘書の事務室で机に座ってじっとしていた。
断続的に、細川総理と河野総裁の会談が開かれているという情報が入り、午前0時を過ぎてから共同会見の中継が映し出された。事務室にいた私たち秘書は、野中先生がおられる部屋に入って映し出されるテレビを観た。
細川総理がペンを持たずに会見に臨まれたので、合意書にサインする時に、河野総裁がペンを細川総理に渡されるという場面が映し出された。私は、「何か演出ぽい場面だな」と思いながら、会見を観ていた。合意書に2人がサインをしてお互いのものを交換し、握手を交わされた。会見では、2人に記者さんから質問を受けるところだった。これを観てガッカリというか、全身の力が抜け、脱力感に苛まれた。「今まで何だったのか、とうとう中選挙区から小選挙区に変わってしまう。多分うちの選挙区は、厳しい区割りになっているのだろうな。」「これで先生方は、納得しているのだろうか?」「この場面を見てどう思われて観ているのだろう」と何とも言えない気持ちになった。
会見が終わると野中先生が、「さあ、帰ろか。山田君、車を出してくれるか」と言われた。私は、「はい」と言って議員会館の地下駐車場に止めている車を出して議員会館の正面に着けた。議員会館の呼び出しで「野中先生、野中広務先生」というアナウンスがされると車寄せに着けた。野中先生が車に乗り込まれ、議員会館を出て高輪の議員宿舎に向かおうと議員会館から道路に出ると、東京では珍しいぐらいあたり一面に雪が積もり、夜なのに、雪に灯りが照らされて見る景色全体が、キラキラとしてまるで銀世界のように綺麗だった。総理官邸の横の坂は、積もりたての雪に、私の運転する車は、少しスリップするのでゆっくりと走りながら坂を降りていき、今まで会見が行われていた永田町も何だか緊張感もなくなり、静まり返ったような感じに合わせて車の中でも野中先生と私の沈黙が続いた。
この車の中での沈黙が続いたのは、「野中先生は、会見を思い起こしながら次の手を考えておらたのだろう」と私は、思っている。高輪宿舎の方へと雪の中車を走らせた。