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国会議員の秘書 45(新派閥と派閥に加入)
平成4年暮に、羽田孜先生や小沢一郎先生が経世会から離脱され「改革フォーラム21」という派閥を正式に旗あげされた。その派閥には、北海道5区選出の北村直人先生も加入されていた。ある日、午前10時に砂防会館にある経世会の事務所に運転して行くように野中先生から言われた。砂防会館のある平河町に向かって車を走らせた。到着すると野中先生が降りて行かれるとすぐに車を止めて、経世会の事務所へ上がっていった。元々経世会の事務局におられた職員たちは、『改革フォーラム21』の方へ行動を共にされたので、経世会の事務局は、小渕先生の事務所を中心に、幹部の秘書が何人かで担当してまわしていた。私が事務局にいくと野中先生は、既に、奥の部屋に入られていた。事務局には、経世会の幹部の秘書が何人かおられたので、私は、ソファに座って「今日は、いったい何があるんでしょう?」と西田司先生の秘書に聞くと「いや〜。何をするのか、わからないですよね」という返事だった。秘書の顔触れを見ると小渕先生、梶山先生、橋本先生、西田司先生、野中先生と集まっている先生方がだれかということが確認出来た。すると少し時間が経ってから事務局の部屋に「どうも、どうも、先生方は、どちらにおられるのか?」と言って鈴木宗男先生が入って来られた。事務局にいた秘書何人か立ち上がって声を揃えて「奥の部屋に入られてます」というと「わかった。ありがとう」と言って鈴木先生がその部屋に入って行かれた。すると小渕先生が、慌てた感じでその部屋から出て来られ事務局の入口のところまで来られて小渕先生の秘書を呼び出された。再び、小渕先生が奥の部屋に入って行かれ、小渕先生の秘書も続いて入って行かれた。事務局にいた秘書たちは、ようやく先生方が集まられた中身がわかった。北海道5区の北村直人先生が正式に、経世会を離脱されたので、同じ選挙区である鈴木宗男先生が、経世会に加入される打ち合わせが行われたのである。
私は、顔には出さなかったが、鈴木宗男先生の経世会入りを内心喜んだ。伝説の人が経世会に入られるとより近くで鈴木先生を見ることが出来る。どのようなことをされるのかを間近で見せてもらって勉強させてもらわないとと考えた。秘書時代の逸話や、朝の自民党の部会で浜田幸一先生、松田九郎先生と鈴木先生の3人での発言。私が、パレロワイヤル永田町の605号室の金丸先生の事務所に度々お邪魔して野中先生が麻雀されている間、事務所で休憩させてもらっていると鈴木先生が、関取などを連れて来られたりされていた。また、鈴木先生以外に金丸先生の事務所では、当時、長野県議会議員だった吉田博美先生や東京都議会議員の内藤尚先生などもよく来られていた。また、選挙の時に、野中先生と私が、後援会の方の車に乗せてもらって移動しているとその車の自動車電話がなった。後援会の方が電話に出られると「鈴木宗男です。この度の選挙で立候補しております。北海道5区で知り合いはおられないですか?おられたら鈴木宗男に投票してやってくれとお願いしてもらえるようにお願いします」と直接、鈴木先生本人から連絡が入った。これには、野中先生も「鈴木君は、凄いな。京都に居る君にも本人が連絡してくるのか。そこまでは、俺もしたことがない。見習わなあかんな。」と驚いておられた。自分が仕えていた中川一郎先生の息子の昭一先生たちと同じ選挙区で戦って無所属でも勝ち上がってくる人というのは、徹底して活動されていることが、その時よくわかった。その鈴木宗男先生が経世会に入られる瞬間を同じ空間で遭遇できたことは、私としては、大変嬉しいことであった。
こうして平成4年年末に派閥が分裂して新しい派閥ができ、平成5年を迎えた。