国会議員の秘書 55(初入閣・自治大臣・国家公安委員長)
自民党河野洋平総裁・社会党村山富市委員長・新党さきがけ武村正義代表が合意し、村山富市委員長を首班指名して平成6年6月29日に、第81代内閣総理大臣に村山富市先生が、就任された。首班指名では、海部俊樹元総理が自民党を離党され、野党側の首班指名の候補になられたが、結局決戦投票で村山富市先生で決着がついた。
首班指名の投票が行われた翌る日の6月30日に組閣があり、私たちは、入閣の可能性はあるとは思って期待していたが、総理官邸サイドから内示の連絡など何もなかったので不安であった。
確か昼頃であったと思うが、事務所の奥の部屋に入っていた野中先生に呼ばれた。部屋に入って野中先生の座られているソファの横にいって顔を伺うと「君な、宿舎に行ってうちの家内が来てるからこっそりモーニングを受け取ってきてもらえないか。もしかしたら必要ないかも、知れないから、それを車に積んでおいてくれ。」と言われて私は、事務所を黙って出て議員会館から宿舎に車を走らせた。車のテレビをつけながら運転していると五十嵐広三官房長官の呼び込みの会見が映し出されていた。すると「自治大臣・国家公安委員長」のところで「自治大臣・国家公安委員長 野中広務君」という声が聞こえ野中先生の写真と名前が映し出された。私は、それを観て思わず、ハンドルを叩きながら喜んで嬉しくて涙が出てきた。「ようやく先生が大臣になられた。あの頃は、引退される前までに、大臣2回出来ればいいと思っていたのに」というふうに思っていたのが、こんなに早くまわってきた。頭の中で今まであったいろいろなことが走馬灯のように駆け巡った。
宿舎に到着して野中先生の部屋のある5階に向かった。部屋に到着してベルを鳴らすと奥さんの「はい!」という声が聞こえた。そうして先生の部屋の扉が開くと奥さんがモーニングを持って顔を出された。私は、「奥様、ご無沙汰してます。先生、大臣になられました。おめでとうございます。モーニングスーツを預かりに参りました。」というと奥さんが「山田君、ご無沙汰ね。ご苦労様、元気にしてる?お父さんようやくなったけど。これからが大変よね。」と言われた。私は、「ありがとうございます。お陰様で元気にやらせていただいてます。これからSPさんとかも先生に着かれると思います。奥様も大変だと思います。お身体にお気をつけていただきますようお願いします。スーツを預らせていただきます。」と伝えると「アイロンあててあるから、よろしくね」と言われて私は、「それでは、事務所に戻らせていただきます。」と言ってモーニングを高くあげて持ちながら車へと戻った。もう発表されたので議員会館に入る時は、堂々とモーニングスーツを持って入っていける。議員会館に戻ると事務所に入るまですれ違う人から「おめでとう!」や「よかったな」というお祝いの言葉をもらった。事務所に戻るとお祝いをもって来られる人やお酒を持って来られる方、また、お祝いの電話などで事務所のメンバーは、慌ただしく対応していた。胡蝶蘭やお酒の現物など事務所の中はいっぱいになり、廊下までお祝いでいただいたものがはみ出していた。また、祝電も全国から届いた。電話がひっきりなしにかかってくる。野中事務所では電話のベルが鳴ると2回以内に受話器を取るという暗黙のルールがあった。電話が鳴っていて私しか受話器を取るものがいなかったので受話器を取って「野中事務所でございます」というと、受話器の向こうから「○○警察署の○○署長と警視総監、○○刑事を捕まえて銃殺にしてください。野中広務国家公安委員長に伝えておいてもらえますか。」という電話だった。国家公安委員長に就任するとすぐに、このような警察に恨みを持っている人などから何本も電話がかかってくるようになった。また、他の議員の秘書さんからもいろいろと依頼の連絡がくるようになった。大臣になると要望されるレベルが違うのが、就任して2、3日でわかるようになってきた。
事務所に届いたお祝いの品物を大臣室に届けて、各局に配ってもらうように事務所と大臣室のなん往復もすることになった。こうして自社さ政権で自治大臣・国家公安委員長に仕えるという経験をさせていただくようになる。