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国会議員の秘書 43(長い闘い②)

 平成4年9月23日野中先生が、後援会旅行で平壌に行って来られて帰国されると名古屋空港から東京駅に到着されるので私は、車を東京駅の丸の内側に駐車してホームまで迎えに行った。新幹線から降りて来られると「直接、麻布(金丸邸の通称)に行ってくれるか」と言われたので東京駅から麻布の金丸邸に向かった。西田司先生とも連絡を取られていたらしく西田司先生もひと足先に、麻布に向かわれているとのことだった。金丸邸に到着すると相変わらず、マスコミのカメラマンや記者さんたちが、たくさん待ち構えており、野中先生が車から降りて金丸邸に入ろうとすると記者さん数人に囲まれてカメラのフラッシュが一斉に光る。金丸邸の門を開けて階段を上がり、扉を開けて野中先生が入られるのを確認すると私は、金丸邸の周りを車でぐるっとまわってマスコミのカメラから少し離れた住宅街の道路に車を止めた。先に到着されていた西田司先生の車も私の前に止めて待機されていた。私は、車から降りて西田司先生の車に挨拶をしに行った。そうして、西田司先生の車に乗り込むと随行している秘書さんから「竹下先生も直子夫人とお見えになるみたいですよ」ということを聞いた。するとそれから少しして竹下登先生のセンチュリーが到着した。カメラは一斉に竹下先生の乗られている車に向かってフラッシュがたかれた。竹下先生は、直子夫人と金丸邸に入って行かれた。お彼岸だったので金丸先生の亡くなられた悦子夫人の仏前にお焼香されるということのようだった。金丸邸ではいろいろと話しあわれたようで金丸先生の弁護士と竹下先生が会われるということになり、東京佐川急便事件で金丸先生の対応が決まったようだった。また、この時期野中先生は、毎日のように金丸邸に通われていたので、度々、小沢一郎先生や佐藤守良先生らと遭遇された。運転している秘書同士も一緒になると何か気まずい感じで車の中から会釈するぐらいで車から降りてタバコを吸いながら以前のように気安く話をするような状態ではなかった。
そして9月末には、東京地検特捜部が東京佐川急便事件で金丸先生に出した結論は、政治資金規制法違反で略式起訴をし東京簡易裁判所から罰金20万の略式命令というものだった。それによってさらにマスコミの取材攻勢も増し、日本中が自民党や経世会に対する批判の嵐になった。10月に入っていよいよ経世会の議員間では、小沢グループと小渕、梶山グループに亀裂が出来た状態になってきた。金丸先生が議員辞職の意思を固められるようになると経世会の後継会長に誰がなるかで分裂することが決定的となった。10月14日には、金丸先生が議員辞職届を提出された。この日に9月に送るはずだった誕生日プレゼントの日焼け機器がようやくドイツから届いた。機器が金丸邸に運び込まれたのが金丸先生が、議員辞職届を提出して戻って来られるほんの少し前だった。これには、誕生日までに入荷出来なかったことと、運び込まれるところをカメラに一斉に撮られて、このような日に大きな箱を運び込んで組み立ててもらうのには、金丸家にも設置業者の方にも、私は、バツが悪くて背筋が凍る思いだった。
 この日と前後して、赤坂プリンスホテルに、部屋をいくつか借りて、小渕、梶山、橋本グループが集まる場所が確保された。しかし、衆議院では圧倒的に、こちらのグループの人数は少ない。先生方は、この部屋に集まって昼夜関係なく対策会議や情報交換、そして参議院議員の先生方がこちらに来てもらうには、どうアプローチするかなどを協議されていた。私たち秘書は、事務局的役割を与えられ、毎日時間がある時に先生方が集まられる部屋の隣に、詰めるようになっていた。こちらのグループの秘書の数も、小沢グループの秘書の数より圧倒的に少なかった。先生方は、経世会はこちらが引き継ぐということと同時に、砂防会館の経世会事務所もこちらが死守するということだった。しかし、経世会に勤務している事務局の方たちは、小沢グループの方に付かれている雰囲気が濃厚だったので、小渕、梶山、橋本グループの秘書たちは、当番を決めて2人一組になって入れ替わりで経世会の事務所の金庫が置いてある応接室に、一日中詰めるということになった。私とよく一緒に当番をしてもらったのは、橋本龍太郎先生の事務所におられる先輩秘書さんだった。20時に砂防会館のシャッターが閉まるまで、経世会の事務局の向かい側にある応接室で待機していた。私たちが応接室にいると20時前になると事務局長が顔を出されて「何もしないから、もう事務所を閉めるよ。君たちも帰ったら」と言われるが、砂防会館のシャッターが閉まるまでは、安心できないと思い事務局のメンバーが出払うまで応接室にこもった。砂防会館が閉まると赤坂プリンスホテルの会議室に行って一日の報告をする。経世会の事務所に詰めてもただじっと座っているだけで本など読んでいる雰囲気でもなく、いつ誰が来るかわからない緊張感と出入りした人がどんな動きをするかを見る役割なので一日がものすごく長く感じた。選挙の時には、投票日というゴールがあるが、この闘いには、いつが、ゴールになるのかが決まっていないので先が見えず朝早くから夜遅くまで待機だったので身動きが出来ずキツかった。ある日、経世会の参議院の先生方は、全員一致して行動するということで斎藤十朗先生や坂野重信先生、竹山裕先生、青木幹雄先生らが、決定されたという情報が入った。経世会の総会をするということで私たち秘書が用意をするために、砂防会館の事務所へ行くと、小沢グループの秘書たちが集まって総会をする部屋の椅子を占領していた。私たちがマズいと思って赤坂プリンスの待機している部屋に連絡して状況を説明すると何人かの先生方が来られて「君らここは、君らが座る席ではなく議員が座る席なんだ。出ていくように」ということになって一旦、議員総会が延期になった。
そうこうしているうちに、参議院議員の先生方が、こちらのグループに合流されることになって議員総会が行われ、総会で小渕先生が会長になられることを決定された。会長に選出されて小渕先生が、会長就任の挨拶をされる前に、壇上の演壇の横の会長の椅子に座られた時の場面を今でも思い出す。経世会会長が決まったことで長く感じた闘いは、終結し、私たち秘書も日常に戻ったのだが、私は、この間で派閥が分裂する時の政治家同士の駆け引きやあらゆるものを巻き込んで切り崩しや引き剥がしをして人数を確保するところなどを見聞きして権力闘争の凄まじさと番記者さんや秘書同士も分裂していくという風景を目の当たりにしたこととゴールの見えない戦が心理的にどれだけ長く感じ何もかもが消耗していくことを経験させてもらった。今はこれらも懐かしい思い出である。

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