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国会議員の秘書 50(平成5年の選挙③)

 平成5年の総選挙からの京都市伏見区の府議会議員補欠選挙に私は、入った。新党ブームと自民党に対する逆風から、私が常駐していた先輩秘書の選挙は、結果的に、遥かに差をつけられて負けた。2議席は、共産党は、確定。そうして日本新党から出た候補者が議席を確保した。この時、風というものは、怖いもので自分たちの力の及ばないこともあることを痛感した。しかし、日頃の活動をしっかりしていればいくら風が吹こうとも勝ち続けられるということには、選挙の鉄則であると思っている。
投票日当日、午前中に、野中先生から私に連絡が入った「書類は、保管したか?」ということだった。私は、「先生大丈夫です。既に移動は、済んでおります。」と答えた。また、午後になって野中先生から「書類関係は、大丈夫か?」と連絡が入った。私は、「ご安心ください。しっかりとやっております。」と答えた。夕方に、再度、野中先生から「事務所は、どうなっている」と再度連絡があったので、私は、「先生、間違いなく大丈夫です。」と答え私は、それから「先生、正直な話、何か噂は、ありますか?」と確認すると、「いや、状況として良くない結果なので何があるかわからないから。」と言われた。私は、「そうなんですか、もし何かあれば覚悟は出来ておりますので、ご安心ください。」というと「わかった。じゃ、頼むな。」と言われて電話を切られた。
この日の1カ月ぐらい前の総選挙の公示日の1週間ぐらい前に、野中先生から京都事務所の応接室に私が呼ばれて、2人だけで向き合った。その時に、私に、「今回の選挙は、うちに取っても逆風だ。いろいろと狙われる可能性がある。しかし、不測の事態があった時に、公設秘書2人は、行かすことはできない。君より上の秘書は、前回、同じことを伝えた。何かあれば、今回は、君が腹を括ってくれるか?」と言われた。私は、その時に即答して、「ありがとうございます。畏まりました。」と伝えた。正直、私は、これを言われた瞬間もの凄く嬉しかった。心の中では、「ようやく先生は、私を一人前の秘書として認めてもらった。」と思い、この話をもらった時に、気分が高揚した。世間からすると馬鹿にされるかもしれないが、先輩秘書が、選挙の時に、「今回俺や」と言われていたのを羨ましく思っていた。その順番がやっと自分にまわってきたということでも喜んでいたが、幸いにもこの二つの選挙では、何も違反は出ずに、無事終わったのである。
余談になったが、そういう状況で私は、府議会議員補欠選挙の開票日は、いち早く野中先生に結果を知らせるために、開票所の立ち会いに進んで行った。
開票所の定められた位置から開票作業を見ていると山積みの段階で、明らかに、私たちの陣営と思われる投票用紙の量が少ないのがわかった。
私は、すぐに、野中先生に連絡して「まだ、事務所にも誰にも伝えてないですが、開票作業を見ると相当な差がついてます。いかが致しましょうか?」と伝えた。すると「わかった。とりあえず、あと一つ日程をこなしてから選挙事務所に、俺が行くから到着する前に君に連絡する。だからそれまでは、何も言わずに、開票作業を見守っておいてくれるか。」と言われたので「畏まりました。連絡お待ちします。」と伝えて開票作業を見ていた。
開票作業が進み、どんどん差がついていくのがわかった。京都市の中で1番大きな行政区で人口が27万人いる選挙区である。浮動票も1番多い選挙区で期間中からモロに、逆風を受けているのはわかっていたが、すぐに見てわかるぐらいの票の積み方になっていたので、「これほど差がつくとは」と思い私は、唖然として作業を見ていた。
すると野中先生から「後5分ぐらいで選挙事務所に入るから」と連絡があった。私は、「では、事務局に今から難しいという状況を連絡します。」と伝えた。すぐに、私は、事務局に連絡をして状況を伝えた。そうしているいちに、得票数が選挙管理委員会から張り出され、負けが決まった。予想通りの結果ではあったが、私が入った選挙で初めての黒星だった。大変、悔しかった。選挙管理委員会の開票作業も終わり、見届けて選挙事務所に戻るとほとんどの人は、引けていたが、何人かがお酒に酔って選挙事務所に、おられた。8カ月後には、統一地方選挙があるので、酔ってられる方たちからも怒られることはなく、次の希望につなげられたので気持ち的には、支持者の方々も収まっていた。選挙事務所から集まられている方々が帰られるのを待って、事務所に残った。事務局に居たメンバーで残務整理の打ち合わせをしたあと、一区切りついたので私は、ホテルに戻った。
流石に、短期間での今回の選挙戦の2連発は、今まで経験したことはなく心身ともに疲れた。
私は、「ようやく東京に戻れる」と思い、火曜日には、東京にいち早く戻ろうと考えていた。
翌日は、野中事務所から借りている備品を戻して、補欠選挙の撤収に専念した。流石に、総選挙に比べると選挙母体が小さい分、撤収も早かった。おおかたの見通しも立ったので、あとの残務整理は、学生時代から一緒に選挙の運動員をやっている人たちに任せて私は、東京に戻ることにした。
火曜日には、ホテルにあった荷物をまとめて自宅に送るようにして、新幹線に飛び乗って東京に戻った。
まだ、事務所が開いている時間だったので自宅には、帰らずに、議員会館の事務所に入った。議員会館では、今までにはない雰囲気が漂っていた。
(続く〜)

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