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国会議員の秘書 46(金丸先生の事件)

 平成5年の通常国会も自民党内部の状況や野党との駆け引きで停滞しながらもその年度予算は、3月6日の土曜日に、予算委員会で採決され、本会議も同日に開かれて衆議院で予算が通過した。この国会では、野中先生は、古賀誠先生の後任の建設常任委員長についていた。逆に、古賀誠先生は、野中先生の後任の自民党の総務局長をされていた。建設政務次官の時もそうであったが、古賀先生が、前の政務次官で野中先生がその後、政務次官に着かれていたので、古賀先生とは、交互に同じポストに着くという巡り合わせだった。「これもご縁なのだな。」と思う。
これはさておき、話を戻すと1月に通常国会が始まり、2月の予算委員会は野党が引き伸ばしなどをしながらも、何とか平成5年度予算をこの日衆議院を通過させて参議院に送付することが出来た。金丸先生の問題も鎮静化されていたので野中先生も本会議が終わり、国会がひと段落したので18時過ぎの新幹線で京都へ戻られた。私は、衆議院の建設委員長車に一緒に乗せてもらって東京駅のホームで見送りをした。そして事務所に戻り、自分の雑用を済ませてこの日は、早めに自宅に帰れた。「衆議院で予算も通過したので3月末までは、箇所付けもないから当分ゆっくり出来るな。」と思いながら自宅で食事を済ませた後、ボーっとテレビを観ていた。すると21時少し前だったと記憶しているが、自宅の電話が鳴った。直ぐに出ると、建設政務次官の時から懇意にしていただいている記者さんからの電話だった。「もしもし、お世話になります。いかがされました?」と聞くと「先生は、京都に戻られた?」と聞かれたので「はい。今、新幹線の中でもうあと少しで京都に着く頃だと思います。」と伝えると「そうなの。京都に戻られたんだ。何か先生に情報入ってない?」と再度質問されたので「いいえ。機嫌良く帰りましたが」と答えると「いやさ。今、金丸先生が逮捕されたんじゃないか。という噂が出てるんだよ。」と言われたので私は、「えっ!それ、ほんとですか?今日、私、天竹(議員会館の裏にある酒屋さん)の前で金丸先生の秘書の方と会いましたよ。喋りましたが、普通でいつも通りでしたけど。」と答えた。すると「おかしいな。ガセなのかな。」と言われていたが、話しているとテレビで「金丸信逮捕」の速報がながれた。私は、「すみません。今、速報流れましたよ。え〜。ありがとうございます。ちょっと先生に連絡します。」と言って電話を切った。私は、急いで新幹線の呼び出しに電話を入れて先生を呼び出してもらうように依頼をしたが、この時は、結局乗車されている時には、連絡がつかず、京都で車で待機している地元の秘書の自動車電話に連絡して、先生が車に乗られたら電話をもらえるように伝えた。
しばらくすると野中先生から私の自宅に連絡が入った。私が、金丸先生が逮捕されたことを伝えると野中先生は、唖然として「わかった。西田(西田司先生)さんと連絡とるわ。」と言われて電話を切られた。
私は、どうすることも出来ないのでただ、野中先生から指示されるまでニュースを見ていると、何件か自宅に記者さんからの連絡が入った。しかし、その時点では、野中先生は、「地元です。」と答えるしかなかった。
野中先生は、日曜日に、地元で入っていた日程が済むと夜には、東京に急いで戻ってこられた。東京駅に迎えに行って高輪の宿舎まで送る間に自動車電話で何件か先生方や関係する方に連絡を入れられていた。西田司先生とは、連絡を取り合われていたようで金丸先生が入られている拘置所は寒いので2人で羽毛布団を手配されたようだった。テレビのニュースでは、パレロワイヤル永田町の玄関の階段のところから金庫を運び出すシーンが何度も映し出されていた。
月曜日の朝、野中先生を宿舎に迎えに行き、議員会館に到着し、事務所に入られた。私は、地下駐車場に車を止めて事務所に入ると野中先生から「パレに様子を見てきてくれるか。」と言われた。とりあえず、11時ぐらいにパレロワイヤル永田町にある金丸先生の事務所に行くことにした。パレロワイヤル永田町の玄関は、受付に女性が座っており、右手にオートロックの呼び出しがある。そちらに605号室のボタンを押して「こんにちは、野中事務所の山田です。」と伝えると「はい。」と言ってオートロックが開いた。ボタンを押す前は気が重かったが、いつもと変わらない感じの開け方だったので、内心ホッとしながら開いたドアを入ってエレベーターに乗った。6階に到着すると605号室のベルを鳴らしてドアを開けていつものように入っていくと、事務室に、日程を担当されている秘書さんがおられ、私は、「お疲れ様です。」と言って神妙な顔をして壁側に並んでいる椅子に座った。するとその秘書さんが、「山ちゃん、ごめんな。お騒がせして、この通りさ。野中先生にもよろしく言っておいて。」と言われたので、事務所の中を見渡すと今まで机の上などに積み上げられていた資料や棚にあった冊子、事務所の中に置かれていたものなどが綺麗さっぱり無くなっていた。まるで引っ越しで出た後の部屋のような感じで、机の棚にあるのは、漫画本が数冊残っている程度だった。今から思うと私に対応してもらっている秘書さんもこの時は、検察に呼ばれて事情聴取をされている最中の合間だったと思う。私は、まだそれをこの時はわかっていなかった。そう声をかけられたので、「大変なことになりましたね。私たち何も出来ることがないかもしれませんが、お手伝いできることがあれば言ってください。それと先生には、西田先生とうちの代議士が小菅は、寒いので羽毛布団を手配させていただいたようです。大変ですが、頑張ってください。また、代議士もお邪魔すると思います。」と伝えて頭を下げて金丸事務所を出た。
私は、事務所に戻り、野中先生に見てきた報告をした。野中先生は、「わかった。また、俺も行ってみる。」と言われた。
金丸先生の事件を通して私が、一つだけ言えることは、金丸先生の逮捕された時に麻布のご自宅の床から金塊が見つかったということで報道され、当時この金塊は、刻印がないので北朝鮮から送られた金塊という噂が実しやかに流れたが、私の経験からいうと北朝鮮から送られたものではないということは、何度となく当時、北朝鮮との関わりをもったひとりとして確信している。
今日のところは、これぐらいにしておき、また、その後のことについて記していきます。

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