あなたしか出来ない、生命の冒涜、うち震える雷鳴
仕事柄(と言うとなんだか仕事出来る人間みたいだけど)、外国の人が多い。国籍も様々で、アジア系からヨーロッパ系、北欧系だっている。僕が仲良いのは、ネパールの人。人当たりのいいおばちゃんで、僕が挨拶すると必ず僕の名前を呼んだ。仕事の部署は違うけれど、連携してやるわけだし、しょっちゅう話しかけられる。「忙し?」、「今日暇ね〜」、「早く帰りたよ」と。全部カタコトだ。休憩時間が被ると一緒に昼ご飯を共にする。よく愚痴を聞いてもらったりする。僕は別に外国人ということを考慮しないから分かってるのか分かってないのかこちらからは判断できないけど、その人は必ず「あなたしか出来ないのよね」と言った。「その時それが出来るのは○○さんだけよ」と。「それはすごい」。僕は別に認められたとか思わなかったけど、僕自身の迷いを肯定してくれたみたいで嬉しかった。正しいか否かではなく、とりあえず出来てるのが良いよって。頭を撫でられたような、そんな感覚になった。
僕が初めて機械化、という言葉をいつ聞いたのかは覚えてないけれど、サラリーマンの仕事はなくなっていくかもなと先生は笑って言っていたのを覚えている。「俺よりも優秀なロボットが子どもたちに教えることになるかもな」とも。だけどまだ、そんな未来にはなっていないし、まだまだアナログだ。特に日本はデジタルの欠片もないんじゃないか、海外と比べて。いやわかんない、自分が体感してないだけだ、きっと。
と言ってもAI技術はとんでもなく発展していってるし、絵を描くAI、文字を書くAI、歌を作るAIなんて出てきてるらしい。出来ないことなんてないんじゃないか?
なんでも出来る機械となんも出来ない人間。どちらが大切かなんて一目瞭然で、悲しくなった。これは生命の冒涜だ! この僕の生命が崇高だなんて到底思えないけれど。
大切な人から連絡が来た。と言っても色々大変だったみたいで、僕は一向に構わなかった。無視されている! みたいな感覚もなかったし。ただまぁ、純粋な寂しさがあった。待ち人現れず、と小吉の御籤にかかれているような。来たのだから、待ち人現れる! 大吉! に変わったわけだけど。
でも連絡来た時、びっくりした。期待をしてなかった、と言えば聞こえが悪いけど、来るとは思ってなかったから。嬉しい誤算? とでも言えばいいのか。最近、本当にあったことなのか、夢で見たことなのか、何か空想していたことなのか、いまいち区別がつかない状態だったから、一度真剣に考えてしまっていた。あれ? 連絡来たのって現実? って。
でも、連絡来て良かった。このまま怖い終わってしまうのは悲しかったから。嬉しくてタバコ多めに吸っちゃったね。めでたいことがあったらタバコを吸うのだー。
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