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私 =チャレンジドの息子



我が家はチャレンジドの息子と私のふたり家族。

そして、時々、両親が1時間の距離から車で泊まりに来てくれます。
両親と会うのは月1.2回、お互い程よい距離感なのです。

、訳あって離婚の道を私は選びました。後悔はありませんが、当初は不安だらけ。
そんな私を両親は支えてくれたし、
何より息子の笑顔がとても励みでした。

息子には、生まれながらにアンジェルマン症候群という疾患があります。
ニコニコよく笑う赤ちゃんだなーと思っていたのですが、まさかのアンジェルマン症候群の特性でした。
それまで、のほほんとのんびーり生きてきた自分が障害ある子のお母さんになるなんて、想像もしていませんでした。

息子はこらからも、意味ある発語はできないし、重度の知的障害や、色々なことを抱えて生きていかなければなりません。これから、どう生きていったら良いのだろうと、インターネットで情報を集める日々でした。

1歳2ヶ月で診断名がついた息子。もともと、じっとしていられない性分の私は、すぐに療育教室を見つけ、息子と母子通園。同じ、障害ある子を授かったお母さん達と触れ合い、元気になっていきました。

そして、4歳から保育園へ。
小学校4年生までは地域の小学校で、温かく見守っていただききながら、元気に過ごしてこれました。

地域では、皆んなから、はるちゃん!と呼ばれて、お友達もとても良くしてくれました。息子が特別な存在ではなく、なんだか自然に溶け込んでいるようなそんな光景が、自己満足かもしれませんが嬉しく感じました。
子供達の柔軟な心は、障害は関係なく息子の個性として、受け入れてくれている様子でした。


そして小学校では、とてもとても良いM先生にめぐりあえて、私も、とても心強かったし、なにより息子も大好きな先生でした。
障害のある息子ですが、とても感受性が豊かで、色々なことは敏感に感じとります。M先生には、いつもハグして顔をすりすりしていました。愛情たっぷりは、息子にも伝わっているようでした。

M先生には、4年間お世話になり、毎回リハビリも熱心に付き添って下さり、運動面、生活面も息子なりに成長をしてくれました。こんな熱心で良い先生がいてるんだなーなどと、いつも両親と話して、感謝でいっぱいな地域生活を過ごすことができました。


5年生からは、これから思春期に入ることなどを見据えて、とても悩みましたが、養護学校への転学を選びました。
今まで、地域で頑張ってきてくれてきた息子くん。今は、のんびりと自分のペースで、成長をしてくれています。

それを機に、私も障害ある方の支援施設に勤務を初めました。

とても素敵な建築の施設で、障害=暗いというイメージとは程遠い建物。
カフェもあり、アートもありと、ほのぼの障害ある方が、それぞれの特性や多様性を生かして働いておられます。

息子を授かるまでは、まさか自分が障害ある方の施設で働いているなんて、思いもしませんでしたが、息子を授かったおかげで、自分の中の多様性を受け止める心が開かれた感じがしています。

とても純粋な彼ら彼女たち。
障害ある方だけではなく、世の中が、色々な人の多様性を認めあって、誰もが生きやすい世の中になっていつて欲しいなーと思います。


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