gumi

※ すべてフィクションです。遺書として書き始めた文章が、気が付けばこれまでの人生を振り返る記録になっていって、だんだん楽しくなってきたので、死ぬのはやめようと思います。

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※ すべてフィクションです。遺書として書き始めた文章が、気が付けばこれまでの人生を振り返る記録になっていって、だんだん楽しくなってきたので、死ぬのはやめようと思います。

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【01】 希死念慮

9/25 ここ数日、ずっと希死念慮が消えない。何一つ不自由のない幸せな人生なのに。恵まれた家庭で愛情を注がれて育てられても、愛してくれる家族がいて、金銭面で困る経験がなくても、何故か自死に惹かれてしまう。寝ても醒めても消えない自殺のビジョンを振り払うのにも疲れたところで、逆に考えてみようと思って、具体的な自殺の計画を立てはじめたのが、三日前だった。 できるだけ人に迷惑をかけないように。人が死ぬというのは大なり小なり迷惑がかかるし、自殺では特に叶わない望みであるのは重々承知

    • 【終】 じゃあね

      • 【43】 幸せ人生

        もう一つ印象に残るメジコンライブとして、家主ツアー(対バン:ピーズ)がある。 ピーズのライブ中に血中濃度の頂点がきて、今まで興味なかったピーズがめちゃくちゃにかっこいいことに気付く。知ってる曲はなくても、大御所のどっしりとした安定感にほっとして自然と盛り上がれた。 もちろんお目当ての家主も最高だった。「家主のテーマ」の盛り上がりに歓喜し、初めて生で聴いた谷江ボーカルの曲が予想以上にかっこよかった。 これをきっかけに、あまり詳しくないアーティストでもライブに行くことが増えた。

        • 【42】 生ライブ

          一番良かったのが、メジコン飲んでのライブ参戦だった。 コロナ規制が緩くなり、ライブハウスも通常営業になりだした頃、私はソロライブ参戦 デビューした。大好きだった神聖かまってちゃんのちばぎんが脱退してしまって「生で見ておけば良かった...」と後悔した経験が背中を押してくれた。勇気がいるのは最初だけで、すぐに慣れ、色んなライブに参加することになる。 特にかまってちゃんのNGフェスin味園ユニバースでは、メジコンがバチバチに効いた。 恐らく昼間から飲んでいたアルコールが残っていた

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        【01】 希死念慮

          【41】 スリップ

          ブロンスリップ。そのときのキッカケは「ただなんとなく」だった。ただ目についたので飲んでみただけだった。 一年弱やめることができたのだし、飲んでもすぐに元の生活に戻れる自信があった。 一度くらい大丈夫、から始まり、二度くらいなら、三度くらいなら、、、と結局そこからまた依存へ戻るのだった。 昔ほどは常飲しない。少ないときで3ヶ月に1回、多くても週に2回ほどの頻度だったが、今回のスリップで、私はメジコンに出会ってしまった。同じ咳止めといっても、ブロンのエフェコデとは全く異なる、ト

          【41】 スリップ

          【40】 介護仕事

          趣味は読書、と言えるくらいには、図書館へも行くようになった。有名どころの村上春樹、湊かなえ、伊坂幸太郎から始まり、森絵都、東野圭吾、江國香織。 川上未映子と森見登美彦は特にハマって、図書館にある分の著書は全て読んだ。 もともと読書は好きだったけれど、久し振りに本を読んで泣くという経験をしたり、なんとなく読まず嫌いしていた森見登美彦の名著「夜は短し、歩けよ乙女」はすっかり気に入って思わず購入した。 白浜旅行をきっかけにTは旅行にハマった。奈良、京都、滋賀、山梨、名古屋、岐阜、

          【40】 介護仕事

          【39】 ゆる減量

          ここでやっと、薬に飽きた、と初めて思った。処方薬は飲んでも意味がないので全て捨て、金パブを吐くほど飲んでも、もう楽しいという感情は得られなかったので、こちらもパタッと飲むのを辞めた。 身体的な離脱症状があり、お腹はずっと下すし、エフェの「元気の前借り」を返さないといけないことで、倦怠感が常にある。アカシジアで足がムズムズして眠れない。それよりも精神ゲージがゴリゴリ削られ続けることがしんどく、酒も含めて、飲んでも飲まなくても鬱なことには変わりなく、しかし、一旦どん底に落とすこと

          【39】 ゆる減量

          【38】 処方薬箋

          立派な処方薬マニアとなったQは、自殺未遂常連ながらも彼氏の途切れない、一人前のメンヘラとなっていた。当時付き合っていたボカロPの彼氏と同棲していた家やカラオケで何度か遊んだが、内容はもちろんラリパーティーだった。 私とは比べものにならない程の大量の処方薬を貯めこんでいたQから薬をもらった。抗不安薬としてリーゼ、ホリゾン、ワイパ、睡眠薬のレンドルミンにマイスリー(大好き)やアモバン、抗うつ薬はエビリファイ、ジプレキサ、セロクエル、リスペ、レクサプロ、パキシルなどなど、 私自身が

          【38】 処方薬箋

          【37】 舐めた鬱

          9才年上のTは、別に奥手だった訳ではなく、恋愛で失敗すること、特に社内恋愛でやらかしてしまうことを危惧していた。 長男で、長い間恋人がいなかったTを心配したご両親の「結婚してほしい」という強い願望から、時代にそぐわぬ「お見合い」のようなことを数年させられていたらしい。自然と結婚を前提とするお付き合いとなり、話が早くて有難かった。 しかし結婚できるという安心感と気の緩みで、私の欠勤癖が悪化してしまい、ほどなくしてその楽器店は退職してしまった。婚約者がいる恵まれた幸せな環境である

          【37】 舐めた鬱

          【36】 うつ再開

          少しおさまっていた鬱が、その頃からまた再発しだした。コロナが少し落ちつき、ヤマハのレッスンが再開して、仕事量と緊張感で押し潰され少しずつ欠勤癖が出てきてしまう。 そんな状態の私を、Tがめちゃくちゃに気にかけてくれた。 休みがちになる前に一度、Tとサシ飲みをした。一人暮らしが初めてだった私に、マネーリテラシーの高いTがお金の色々を教えるというテイで、近所の居酒屋へ行った。 もう既にTのことは好きだったが、私生活の男関係のだらしなさ、危機感のなさも同時にあったので「飲んだ後はT

          【36】 うつ再開

          【35】 爛れたり

          お盆を迎えた8月中旬、私はまだ実家で、ツイキャスにハマっていた。いろんな人の、主に過疎配信を見に行き、キャス主とコメントを通じて雑談することが趣味になった。 その中の一人、何度か雑談しただけの浅い付き合いのキャス主に「君の性格的に一人暮らしが向いてるんじゃない?してみれば?」と言われたことがキッカケだった。次の日には一人で不動産屋へ行き、その足でY支店近くのアパートを内見、一目で気に入ったその部屋を二つ返事で決めてから、母に報告した。 母に改めて「一人暮らしがしたい」と正

          【35】 爛れたり

          【34】 社員異動

          アルバイトで働いて二年程たった頃に、私の実力がかわれ、正社員に格上げされると同時に、別支店への異動を言いわたされた。 隣町のY支店は、生徒数は本店よりやや少ないが、従業員は販売の営業スタッフ一名とオンキョウ担当の一名、合計二人だけだった。 来月辞めるらしいY支店のオンキョウ担当は、酷く怠慢なパートのおばさんで、業務が全て雑で適当、本社からも講師からも悪い噂しか聞かない、とにかく印象の悪い人だった。その人がきてから、Y支店の生徒数は減る一方だったそう。 その彼女がようやく辞め

          【34】 社員異動

          【33】 楽器購入

          金パブの影響と演奏の再燃から、私は生徒募集に力を入れた。色んなアイデアが次々と思い浮かび、また効率化も捗って、偶然かもしれないが、私が入社してから本店の生徒数はどんどん増えた。上司や講師からも一目置かれたが、さすがに、10年以上勤める「本店の顔」である菩薩さまを越える程の信頼度には及ばなかった。悔しいがこればっかりは時間の問題もあるので仕方なかった。 演奏の技術や音楽史に関しては詳しくなくとも、聴くのが好き、演奏が好きという気持ちと、実際ヤマハで習っていた経験から、営業トー

          【33】 楽器購入

          【32】 演奏の顔

          本気だった学生の頃に比べれば、多少うでは落ちているはずだったが、少し練習すれば市販6級程度の曲であれば普通に弾くことができた。(ヤマハのグレード試験は9級からとり始め、受かるごとに数字が減る。初見、即興、聴音などの種類があり、ヤマハの講師の資格を目指すにはまず最低限5級が必須となる。私は5級まで取った。) 昔のエレクトーンからすさまじい進化を遂げたSTAGEAで色んな曲で遊んだ。 メモリの媒体はフロッピーからUSBになった。何曲かのアルバム形式でしか購入できなかった高価格の

          【32】 演奏の顔

          【31】 ヤマハ子

          本店のオンキョウは、私ともう一人の上司の二人で運営していた。少し年上の美人で性格もいい彼女を、怒っているのを見たことがない!という尊敬と愛着の気持ちでもって、心の中で「菩薩さま」と呼んでいた。今まで生きてきた中でダントツー位の素晴らしくデキた人だった。 汚点が一つも見つからないのに嫉妬心さえ抱かせない謙虚さもある、そんな彼女は、音大卒のピアノ弾きだった。 本店内だけで行う小コンサートは完全に身内イベントだったので、企画から開催まで、全てオンキョウの私たちで行うことになる。そ

          【31】 ヤマハ子

          【30】 仕事事情

          一方でその頃の私のお仕事事情 職場は楽器店に変わり、スーツを着て電車で通勤する日々。一階がピアノやLM商品、スタジオのある店舗、二階がヤマハ音楽教室、三階がその会社の本社事務所となっており、私は二階の音楽教室、通称「オンキョウ」の課に配属された。最初はアルバイトだったが、社員と同じ業務をこなす「ヤマハの受付のお姉さん」となったのだった。 元々ヤマハっ子だった私はその楽器店で習っていたし、コンクールで活躍することもあって、当時から勤めている社員や講師は私のことを覚えていてく

          【30】 仕事事情