【43】 幸せ人生
もう一つ印象に残るメジコンライブとして、家主ツアー(対バン:ピーズ)がある。
ピーズのライブ中に血中濃度の頂点がきて、今まで興味なかったピーズがめちゃくちゃにかっこいいことに気付く。知ってる曲はなくても、大御所のどっしりとした安定感にほっとして自然と盛り上がれた。
もちろんお目当ての家主も最高だった。「家主のテーマ」の盛り上がりに歓喜し、初めて生で聴いた谷江ボーカルの曲が予想以上にかっこよかった。
これをきっかけに、あまり詳しくないアーティストでもライブに行くことが増えた。
明日は長谷川白紙を見に行って、12月には君島大空(大好きな味園ユニバース再び)の予定がある。
さて、こんなに楽しくて充実しているはずの生活が続き、今に至る。
希死念慮の入る際などないはずなのに、私はまた仕事を欠勤し、この遺書を書いている。
死ぬと決め、ノートを書きはじめた9月25日あたりから、ある種の操状態に入っており、仕事を休んでも「どうせ死ぬし」、ブロンの無駄遣いも「どうせ死ぬし」と、悪い方向へ聞きなおりはじめてる。自己嫌悪もあるが、まあどうせ死ぬので、どうでもいい。
お察しの通り、このノートは全てブロンもキメて書いてる。最後まで承認欲求が消えないことも、どれだけ人に認められてももう満足できないことも、もう分かってる。
そう、何をやっても満足できないことが、生きることへの煩わしさへ、そして布死念慮へ繋がるのだと思う。心からの満たされた感覚はどうやっても得られない。薬を飲んでようやく紛い物の幸せが手に入る。
ただ日常のちっぽけな幸せのために、嫌な経験がくっついてくるのが面倒なだけ、「食べる為に働く」という当たり前ですら、もう面倒くさいだけなのだ。
だから、私が死んでも、周囲のみなさんは自分を責めないでほしい。
私はただ「今日は掃除しなくていっか~」のノリで「もう生きるのやめよっか~」と考えているだけ。
大学ノート48ページ、24枚、書いた日数、6日間
1ページ約1000文字使うとして、書いた文字は約48000文字、文庫本一冊分にもならない、私の32年の人生の解像度、48000文字。
しょうもないけど、まあ納得の薄さだ。
私の人生のほとんどの出来事は思い出せたと思う。これで死ぬ準備はできた。
あとはクレモナ金剛打結んで、家で吊るのはトラウマになるだろうから、なるべく関わりのない屋外、深夜の公園か公衆トイレか、リハパン履いて、酒飲んで、木で吊るなら自転車を蹴飛ばそう、音でバレないような環境も見つけたし、トラウマ緩和で顔にビニール袋、忘れないように。
まぁ結局なんやかんや言って行動にうつすことすらしない感慢だった。というオチかな。
このノートはただの自己満で、ここから更生し、一生この遺書の存在を忘れることが、迷惑をかけないという点ではベストなのだけど。