『クドリャフカの順番』は回らない
米沢穂信先生の『クドリャフカの順番』を読んで以来
わたしは「期待」という言葉を使わなくなった
福部里志は、「期待」という言葉を多用する"谷くん"を
国語の苦手な人、だと形容した。
福部里志は続ける。
「自分に自信があるときは、期待なんて言葉を出しちゃあいけない」
「期待っていうのは、諦めから出る言葉なんだよ」
「時間的にとか資力的にとか、能力的にとか、及ばない諦めが期待になるんだよ。」
「期待ってのは、そうせざるを得ないどうしようもなさを含んでいなきゃ空々しいよ。」
だから、谷くんは僕に期待なんかしていなかったと。
期待というのは、たとえば
自分が、折木奉太郎にやってたようなことを言うと。
福部里志は、「データベースは結論を出せない」という信条を捨てたわけじゃなかった。
能ある鷹は爪を隠す。
折木奉太郎に鷹の一面があることを知り、
それを心から愉快なことだと
思っていなかったことに気が付き、
みっともないことを承知で
折木奉太郎を模倣するという決断をした。
しかし、福部里志は1000人いる容疑者を
絞ることができなかった。
何かしようとして何もすることのできない
"谷くん"やその他大勢の生徒と同列だったのだと
身を持って実感させられてしまう。
『クドリャフカの順番』は「期待」の話である。
能力を、期待される資格を、
持つ者と持たない者の話である。
クドリャフカは、多くの人の期待を一身に背負い
宇宙に行った犬の名前。
クドリャフカは宇宙で、亡くなってしまった。
『クドリャフカの順番 』とは
期待の順番である。
折木奉太郎は作中で以下のように言っている。
「身を震わせるほどの切実な期待というものを、俺は知らない。憧れを知らない。眼科に星を持たない。
……それともいつか、俺にもその『順番』がまわってくるだろうか?」
もしかしたら、奉太郎にその『順番』は回ってこないのかもしれない。
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「洒落にならんね。こっちが望んでも得られない実力を持ってて、競い合いする気にもならないほど差が開いているのに」
「あいつが一言やるぞといえば、ぼくはなんでもするつもりでいた。そう言われるのを、じっと待ってたんだ。下手糞のぼくからすれば、希望の星というやつさ。」
「絶望的な差からは、期待が生まれる。だけどその期待にまるで応えてもらえないとしたら、行き着く先は失望だ。」
本作をまだ心から「苦い」と思えないのは、
わたしがまだ「苦い」からなのかな。
お暇があればぜひ。
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