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読書日記11

 すべては今日から

 児玉清さんのエッセイ。雑誌に掲載されたものをまとめている本で、亡くなった後に本にされた感じがある。「寝ても覚めても本の虫」とか本を紹介する作品が多々あったり、テレビで本を紹介する番組をやっていたりで本好きは相当だったらしい。僕が知らない昔の本やマニアックな本以外にも色々と本の感想が書いてる。

 T・クランシー 「ジャックライアン」 R・N パターソン「サイレント・ゲーム」 大沢在昌 「砂の狩人」 J・グリシャム「ペリカン文書」 ダン・ブラウン「ダビンチコード」 ルヘイン 「ミスティック・リバー」 市川拓司 「世界中が雨だったら」 真保祐一 「最愛」 などなど、僕が読んだ本だけでもこれだけ出てきた。シリーズものは全部読んでないし、読んだ作家でも違う作品というのもあるけど、100人は下らないくらいの人数の作家の作品の感想が細かく書かれている。

 読書好きの人の本の量は凄いけど、児玉清さんは2万冊を所有するというからすごいし、それをほとんど読破しているというのだからもっとすごい。村上春樹も相当の読書家で色々と読むらしいけどすごいなと思う。大量に読む人というのはあまり書かないというか書けないというのがあるのか、感想もすごく短く何冊もの本の内容が書いてる。原文で読んだのと翻訳で読んだのとがあるみたいだから、それも凄いとしかいいようがない。

 ネットで書いてある作品を調べられるので調べて読んでいたら、読み終わるのに時間がかかってしまった。僕の思い入れのあるのは「野菊の墓」という作品で、伊藤佐千夫の作品で古典といってもいいし、何回も映画になっている。僕がみたのは松田聖子の作品で「民さんは野菊のような人だ」のセリフと女性のもつ綺麗さに(松田聖子も可愛かったのです)胸がきゅっとなったのを覚えている。青空文庫で読めるし、そんなに長くないので読みやすかった。

 最後はアンハッピー(民子が死ぬ)に終わって主人公の政夫が想い出して涙する感じで終わった筈なんだけどと思いながら昔の記憶と照らし合わせた。児玉清さんみたいに、本を読むのが娯楽で読み続けて亡くなるっていうのはこれからは少なくなるだろうなと思う。映像で見た方が早いのもあるし、お金もかかるし、時間がないのもあると思う。ただ読書をしている人は正直、量が半端ないぐらいのストーリーを吸収する。(知識が半端ない)

 時代的なことなのか、そうじゃないのかわからないけど、本を買うというのがお金のかかることになってきた。読みたい本が高い気もする。100冊本を買うとなるとハードカバーなら何十万とかになるもんね。それだけの情報となるとうんと考えてしまう。kindleのような電子書籍とかだと海外の作品なんて割引で買えるから、英語で読める人(英語圏の人)とかはいいなと思う。

 児玉清さんもミステリーが好きで外国の本屋でハードカバーで買ってというけど、割引になったのとかもあってというのもあるんじゃないかな思ってしまう。村上春樹の作品とかも英語バージョンだと安くなっている。英語で読むのができれば思って勉強してるけど流石に難しい。ただスマホのようなタブレットで読んでしまうなら、文章は文庫と変わらないのだから、最初から文庫価格にしてほしい気もするけどそれだと稼げないのもあるとは思う。

 稼ぐのは芸能人(俳優・タレント・お笑い)が1回売れると食べれるのはタニマチというかパトロンというかスポンサーというかが付くからで、さんまのまんまにYouTuberの「はじめしゃちょー」が出演したときにさんまが「スポンサーはどれくらいついてるの?」と聞いていたけど、企業を経由して「支援」されてタレント活動を維持するというのが今までのテレビだったというのに対して「はじめしゃちょー」は「そういうのはないと思います」と理解できない感じで答えていた。

 ここらへんで「稼ぎ方」というのも変わっているんだろうなと思う。YouTuberと簡単にいってしまうけど、稼ぐ構造そのものがお金持ちの支援や企業からのバックアップであったのに対して、商品の紹介やら視聴回収などで稼ぐというスタイルは色々と構造も変えてしまうんだろうと思う。

 昔、といっても20年くらい前の僕らの若いころにBarというかカクテルを出す店というのが少なかった。その時にお店を始めた後輩がいたんだけど、お金を地元の金融機関から借りて始めたときに借りたお金が300万で年収が純で300万ぐらいだった。田舎だと家賃が安くてすぐに始められたし、改装費にお金がかかったけどいお客はそこそこ入ったし10年くらいは普通に食べれていたけど、今はその店はない。

 儲かるというので似たお店ができたのと、居酒屋でもカクテルを出したりするのが増えたせいで、田舎の小さなBarはもうなくなってしまった。務めたくない人が簡単に始められてそこそこの生活ができる環境というのは少なくなってしまう。「文章を書く」というだけでは「稼ぐ」って難しくなるんだろうなと思う。サロンとかペイトリアンみたいな支援とかnotoのサポーター制度とか方法は増えているけど、「稼ぐ」というのに結びつくかは難しい気がするけど…

 観る・聴く・読むは昔から変わらないけど、稼ぐという媒体は変わっていくのだからこれまでもそしてこれからも「おもしろい作品」というのは生まれてくるというのは事実ということになる。そこらへんの安心はもっていいのかもしれない。面白い作品は読みたいというのは不変な気がする。

 

 


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