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読書日記53
春宵十話
岡潔さんのエッセイで岡潔という人は知る人ぞ知る数学者らしい。春宵十話というのは四文字熟語の春宵一刻(春の宵の満ち足りた楽しいひととき)からとった言葉だと思う。wikiで調べたけど多変数複素函数論をフランスで研究していたという話だけど意味がもうわからなかったwこの本を教えてくれた人も東京に住んでる時に数学の先生で居酒屋で知り合った人だった。
「エッセイってたった一言や少ない文章でいいか悪いか決めたくなる」その人はビールを飲みながら僕に言って古い方の文庫本を貸してくれた。しかもこの本の巻頭のはしがきにその言葉が載っている。
私は数学なんてして人類にどういう利益があるのだという問う人に対してはスミレはただスミレのように咲けばよいのであって、そのことが春の野にどのような影響があろうとなかろうと、スミレのあずかり知らないことだと答えて来た。 「春宵十話」岡潔著 はしがき
簡単にいうと教育論みたいなことが書かれている。ノーベル賞をとった湯川秀樹さんも岡潔さんの講義を聞いていたらしいから優秀な教育者なんだろう。本をくれた数学の先生もそれはしっかり言っていた。余談だけど僕はその数学の先生は東野圭吾の「容疑者Xの献身」の石神哲哉のモデルになった人だと思っているw
情緒が頭をつくるという章では人は頭で学問をするものだという一般概念に対して本当は情緒が中心になっているというものですごくよくわかる。歳をとって勉強してるセンスってやっぱり学習には必要で僕にないので反対によくわかるw
過去のことも書かれていて、アインシュタインが来日してその影響で京大理学部に進み安田亮先生の講義を聞き問題を解いて「わかった」と大声で叫んでしまうぐらい衝撃をうけたらしく、その後に数学科に移ったらしい。その後にフランスに留学した時もソルボンヌ大学の教授だったガストン・ジュリアの講義が聞きたいと文部省がドイツに行けというのにフランスに決めてしまったらしい。
だれだれの話を聞くというので留学するのだから、よその国ではだめなのに、文部省はそんなこともわからなかったらしい。これも「人」というものが忘れられている例で、どの人がしゃべったかが大切なのであって、何をしゃべったかはそれほど大切ではない。 「春宵十話」岡潔著
こういう天才が世界大戦という時代をこの頭脳で通り過ぎその後に情緒不安定になりながら教壇に立っていたらしいから拷問だっただろうと思う。古い作品だけどグッと心に響く作品。
YOASOBIというグループの「夜に駆ける」を聴いていて勝手に「ボカロでしょ」と思っていた。いい曲だしほっといても流れるからまあまあと思っていいたら、人間の歌声というのを聞いてビックリしてwikiすると歌っているのは「幾田りら」という女性でしかもアコギでシンガーソングライターをやっていると知った時、俺は人間を見ていないと思ってしまった。
まあ声を聴いただけでビックリするボカロのような高音で活舌が凄くよく抑揚を抑えているのかビブラートがビブラートぽくないというか、すごい声でアコギ持って歌ってると聴きいってしまって泣いてしまった。「ぷらそにか」というアコースティックセッションユニットもやっているらしくカバー曲も聴ける。いやはや音楽を知らんとはこのことと思った。音楽をできるというか音楽を聴ける人ってすごいと思う。本を読める人もすごいし一緒にできる人は本当の意味で岡潔さんのいう「情緒」がある人ということになる。
「夜に駆ける」の曲には原作があって「タナトスの誘惑」という作品で小説投稿サイト「monogatary.com」に掲載されている。すごく短い短編で読み口はざらりとしてホラーも若干入っている面白い作品で読むと歌詞に奥行きがうまれる。
タナトスというと「エロスとタナトス」で直訳すると「生と死」になるのかな?、ノーマン・ブラウンの哲学書で「エロスとタナトス」というのがある。本は古くてもう手に入れるのは難しいのでブログでよいのがあったのでリンクを貼ってみる。エロスってエロスの元だけど…w
https://1000ya.isis.ne.jp/1289.html
今だと俳句を覚えたり、音楽でセッションしたり、そういう創作というかクオリティの高い人って高学歴でなくても勉強できるということになる。楽しみながら勉強をするって大事なことだなと思いながら英語の勉強をしていた。スミレはスミレなのよ~とテト(猫)にいうと暑くてイライラするのか噛みつかれた。