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明け方、新聞を取りに行くと、シマトネリコの低い枝で熊蟬が眠っていた。間近に寄っても、ピクリとも動かない。 薄い翅の下にある体はほぼ黒に近い茶色。鎧のようにゴツゴツしていて、地中での生活の名残を漂わせている。 地上に出てからは7日ほどの命だと言われている蟬。こうやって眠るごとに深く老いてゆくのだろう。薄紫の朝風に吹かれながら。
夏の終わりには小さな生き物の亡骸を目にすることが多い。 先日も庭の鬼門さんの草取りをしていると、蛇苺の葉陰に、朽ちかけたアオスジアゲハの翅を見つけた。からだはすでになく、端がぼろぼろと崩れた翅が2枚、あちらとこちらに落ちている。 黒も碧も艶をなくして色褪せてはいるけれど、それがまるで鉱物の乾いた色のようで、生きている時とは違う無機的な美しさを保っていた。 虫や花は大きな自然の一部。だから魂は長く体に留まらず、軽やかに転生を繰り返す、という。 このアオスジアゲハに居た魂は、今
8月半ば、和歌山県かつらぎ町にある「丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)」を訪ねました。 丹生都比売神社には高野山を守護する女性の神様、丹生都比売大神(にうつひめおおかみ)がおられます。天照大神の妹にあたる神様で、別名・稚日女命(わかひるめのみこと)です。 「丹」は鉱物から採取する朱の色を表す言葉。その色を持つ神社の名の通り、丹の輪橋と楼門が青空に映える境内でした。 世界遺産として有名な高野山は、もともと丹生都比売神社の神領地でした。その昔、弘法大師空海が真言密教を伝える拠
真昼、庭のめだか鉢に日除けのすだれを掛けに行くと、咲いたばかりの百合の上に、若いハラビロカマキリがとまっていた。浅緑色のカマキリはきゅっと鎌を閉じて腹を高く上げ、照りつける夏の日差しに抗っているかのよう。百合の白い花びらにカマキリの影がくっきりと落ちて、それがまた別の生き物のようにも見えてくる。 炎天の中の緑と白と黒。自然が見せてくれる豊かな色の調和。 でもあまりに強い日差しは、カメラのレンズを通すと黒く沈んでしまう。 夏の初めには庭のあちらこちらで見かけた、幼いカマキリ
7月31日、和歌山市にある「伊太祁曽(いたきそ)神社」へ夫と夏越の祓に行ってきました。夫は今年が前厄で、年の初めにはここで厄払いのご祈祷を受けています。夏越の祓では残り半年を無事に乗り切れるよう、改めて手を合わせてお願いしました。 この茅の輪を三度くぐれば、半年分の穢れが落ちるといわれています。茅の輪は神社によっていろいろな形や大きさがあり、個性が表れていて面白いです。 「水無月の夏越の祓いする人は千歳(ちとせ)の命延ぶといふなり」 この和歌を唱えながら8の字に三度回る、と