見出し画像

インナーチャイルドと行く遍路旅③ 宗教観や信念あれこれ

2泊3日の遍路旅を終え、自宅に帰ってきた。
帰ってくる家があるから旅が楽しい。本当にそう思う。久しぶりに夫の作った夕食を食べ「あー、やっぱり家が一番ねえ。」というお決まりのセリフが漏れそうになる。

私は生まれた頃からずっと母親の「宗教観と信念」が支配する家庭で育った。
母親が宗教に傾倒するきっかけとなったのは私の出生と父親の病的ギャンブルだった。
私は虚弱で生まれ、ツベルクリン反応では「強陽性」となり、結核感染が疑われた。小学校に上がる前まで薬を飲み続けていた。
結婚後すぐに父親の病的ギャンブルやそれによる借金が問題化した。

それらを解決するために母親が頼ったのが「宗教」だった。
先祖供養をしていれば病的ギャンブルや子どもの病気は治る、そう信じて墓を建て、毎日真言をあげ、月に何度も墓参りをし、先祖代々の菩提寺に通いお寺の掃除や行事の手伝いをし、四国八十八か所を回り、御詠歌をあげた。
最初に相談に乗ってくれた神道の教会の集会には月に一回必ず通い、毎日神棚で祝詞をあげた。
そのほかにも「道徳」に取り組む団体にも加入し、役割をこなした。

母親の口癖は
「神や仏が見ているから信仰しないと罰があたる」
「嘘をつくな」
「悪いことはしてはいけない、思ってもいけない。いつも善良で正しくあれ」

正しさに押しつぶされそうな毎日だった。
そのうち母親には正しいことしか言わなくなった。
喜怒哀楽の怒と哀はなかったことにしたり心の奥底に押し込めた。

母親が熱心に通った菩提寺や教会はとても良いところで良識的な「教え」を伝えてくれたところだった。行動を強制したり不当なお布施を要求されるようなことは一切なかった。こどもの私たちには信者さんも住職さんも神職さんもとても優しかった。優しい大人にちゃんとしたことを教えてもらえる場所だったと今でも思う。今でも私が神社やお寺が好きで遍路を続けていることもここで過ごした思い出が影響している。

問題は母親の「信念」だ。
墓参りや参拝、供養にこだわるあまり
「それさえしていれば幸せになれる」
から
「しなければ不幸になる」
と脅迫的に思い込んでいる。

客観的に見て信仰(行動)を熱心に続けてきた母親は
幸せとは程遠い。(現在進行形)
現在も不平不満を振りまきながら熱心に信仰(行動)を続けている。

人は平穏に生きたいから
平穏に生きるために思想や宗教を求めているのかもしれない

平穏を求めるはずが
思想信念に執着するあまり
争いごとが起こる
有史以来
宗教に由来した戦争が幾多と繰り返されている史実がそのことを物語る。

宗教をはじめ、他人の思想や信念に執着してはいけない。
思想、信念は自分で考え選び取っていかなければ幸せにはなれないのではないだろうか。

私は母親の宗教観や信念から解放されて
平穏に生きるための考え方を手に入れる

まだまだ抑圧した怒りや悲しみに飲み込まれそうなことがある
怒りは抑圧され腐敗し「恨み」にかわって自分を苦しめることもある。
それでも
自分を生きようと思う

今も残る歩き遍路道。

余談ですが重要な事実。
父親の病的ギャンブルは宗教では治らなかったし
結核(疑い)は薬を飲むことで治療できています。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?