心の整理整頓
うつ病になって教師を辞めた男の話⑥
教師という仕事には、やりがいがあります。
でも、精神的な負担が大きいのも事実です。
今回から少しずつ、僕の精神がやられた時の状況、考えていたことなんかを書いていきます。
たぶん僕は考えすぎの気を使いすぎの人間です。
ふつうはこんなに考えないのかも、ですが、読んでもらえたら嬉しいです。
ある学校に、臨採で務めているとき。
その時の、その学年は、結構大変でした。
やんちゃな子も多く、授業を成り立たせるためには、大きな声を出すこともありました。
ちょっと昔の話です。
対教師暴力もありましたし、教師、学校に対する不信感を持つ家庭もありました。
いくらかは、学校側の責任かもしれませんが、そうじゃないんじゃないかなと思うこともありました。
理不尽を、痛感した年でした。
「理不尽」って、結構精神的に来ますね。
納得して、理解して、心にストンと落ちるって、すごく重要。
だから、僕が子どもたちの相手をしていて、一番大事にしていることは、「説明」です。
その子にとって、一番わかりやすい方法で、一番納得してもらえる形で説明すること。
学校側と、保護者側で意見の対立、齟齬があると、まとまる話もまとまりません。
それがいろんなところで乱立していたら、理不尽も推して知るべし、ですね。
あっちを立てればこっちが立たず、というのも違うかもですが。
この年は、いろんなことがありました。
立ち歩き、エスケープ、暴力、いじめ、対立、不満、不満に対する不満。
いっぱいありました。
行くのが当たり前だった仕事に、後半連日休んだり、毎週休んだりしてしまったことがありました。
表情がなくなりました。
子どもたちの前でもそうだったのかな、と思うと、ちょっとさすがに申し訳ないですが、当時は自覚していませんでしたからわかりません。
後になって親に言われただけなので。
1週間毎日夜12時を回るまで校長室に保護者が来てました。
話し合いが続きました。
途中から思いました。
これって、誰のための、何のための話?
子どもたちがいる時もありましたからね、校長室に。
今思えば、そこに突っ込みを入れるべきだった。
学校と保護者が一体になれるような声掛けができればよかった。
今の自分ならできたのか?経験を積んだ僕なら違ったのか?
わかりませんが。
指導中の生徒の前で涙をこぼしたこともありました。
なぜわかってくれないのか?
悔しくて悔しくて。
帰りの車の中で、大きな声で叫んだこともありました。
「ああああー--------------------!!!!!!!」
何に怒ればいいのか、何に感情をぶつければいいのか。
誰が正しいのか、何が正しいのか。
本当にわかりませんでした。
理不尽、葛藤、怒り、後悔、心を大きなモヤが覆っていきました。
それが始まりでした。
今なら取捨選択をして、自分の心に大きなダメージを負わない方法がとれたかもしれません。
でも当時の僕にはまだその技術がなかった。
『若いころの苦労は買ってでもしろ』
なんて昔の人が言ってました。
いろんな経験を積むことは確かに大切です。
でもそれは、一つ一つに納得がいく、理解ができる場合のことだと思います。
その時は納得がいかなくても、年月が経てばわかることがある。
とも言いますが。
それとは別の話で、です。
(自分の考え方との整合性のつかない)理不尽が積み重なると、
人は大きなストレスを感じると思います。
納得がいかないこと、モヤっとすることがあれば、
絶対誰かに話したほうがいい。
誰でもいいです。
あなたのことを理解してくれる人、あるいはあなたの考えに寄り添った答えをくれる人。
あなたに都合のいい人、ということではありません。
とことん付き合ってくれる人であれば、反発してもいいと思います。
とにかく、納得できる、理解できることが大切です。
僕でよければ付き合います。