壊す
7月、気づけば日は随分と長くなっていた。19時過ぎとは思えないほど明るい。ホームのベンチに座り、ふぅっと息をついた。今日は本当に長い1日だ。
ムワッとした嫌な湿気が全身にまとわりついてくる。スーツなので余計に暑い。手持ち扇風機で対抗しながら、走り去る快速をぼんやりと眺めた。
現在転職活動中。先日初めて書類通過のメールが届いた。
あんなに転職したいと喚いていたのに、いざ書類が通ると不安が一気に押し寄せてきた。息が詰まり冷や汗が背中を流れる。
どうしよう、書類通っちゃった。面接何聞かれるんだろ、圧迫面接とかされたらどうしよう。そもそもここそんなに志望度高くないし、いきなり対面面接はハードル高いし受けるのやめようかな、でもせっかく通ったのに蹴るのもったいないしやっぱり受けた方がいいのかな。どうしよう、どうしよう、どうしよう、怖い。
怖いってなんだろう。ずっとそれしか考えてなかったのに。それしか考えずにこの数年間やってきたはずなのに。
このままでもいいんじゃないか。このまま、何も変わらないままでもいいんじゃないか。一瞬そんなことすら浮かんできて自分に嫌気がさした。昔からずっと逃げ癖が抜けない。これまで色んなことから逃げてきた。面倒なこと、怖いこと、わからないこと、進むこと。
前に進むってこんなに怖いことだっけ、こんなにも逃げ出したくてたまらなくなるようなことだったっけ。冷房の効いた部屋で布団にもぐりながらずっと考えていた。
高校決めた時はこんなんじゃなかったのになぁ。転職と高校選びを同列に扱うのがおかしいのは承知の上だけど、生まれて初めて「変えたい」と思って行動したことだからどうしても思い出してしまう。
あの時、わたしには明確に憧れてた未来があった。その「未来」が自分の日常になったのがうれしくてうれしくて、毎日が楽しかった。電車通学も、ブレザーの制服も、友達と弁当を囲むのも、放課後の寄り道も、誰もわたしのことを知らないまっさらな教室も。またあの時と同じ気持ちになりたい。なりたいのに。
まだ覚悟ができてなかったんだ、と今更ながら気づく。今のこの生活を壊す覚悟。これまでの自分の言葉が薄っぺらく感じた。覚悟ができてる「つもり」だっただけだ。ハリボテの覚悟は簡単に崩れた。口だけはどこまでも一丁前で、恥ずかしくて情けない。
今ある全部が変わる。今ある全部が新しいものになる。ハリボテじゃなくて頑丈な覚悟を決めたい。掴みどころのなかった未来を少しずつ形にしていきたい。
わたしは面接を受けることにした。
変わることは怖い。何も見えない道を手探りで進むことは怖い。でもわたしは、この先で待ってくれている人がいることを知っている。何よりわたし自身が壊してでも進みたいと思っている。立ち止まってる方が辛いってこと、本当は痛いほどわかってるから。こんなはずじゃなかったと嘆いてタラレバや恨みつらみを並べるような惨めで情けないこと、もうしたくない。そんな自分でありたくない。
なりたい自分はわからなくてもなりたくない自分だけはいつだって明確だ。ならば、その反対に向かって走ればいい。
面接は思ったよりも怖くなかった。今やれることは全部やっておきたい。手持ちのカードを少しでも増やしたい。
帰りの新幹線で『汝、星のごとく』を読みながら少しだけ泣いた。切り捨てる覚悟、手に入れる覚悟。いま必要なのは、その両方だ。
電車に乗り込む。これまでほとんど利用したことない路線だけど、今後はきっと、叶うまで何度もお世話になるだろう。ボックス席に腰かけ黒い鞄を膝の上に置く。
時間はかかると思うし何度も弱音を吐くかもしれないけど、絶対に叶えるからね。自分の人生勝ち取るから。見ててね、待っててね。