その眼はふし穴か。
昨年、勤続20年を迎えた。
社長との出会いは、私が21歳。
20歳前に親元を離れて暮らし始めた私にとっては、両親と同じ長さ育ててくれた人。
成人まで育ててくれた両親と、社会人としての成人まで育ててくれた社長。
「どうしてそんなに居られるの?」
よく聞かれる。
前半10年ほどは、自身の成長を楽しんでいた。はじめから大きな目標や野望があったわけじゃなく、はじめてから雪だるま式にどんどん、どんどん楽しくなった。
できないことができるようになる、昨日より数秒早くなる、見えていなかったものが見えてくる。
毎日が面白くて、自分の変化と伴う物事の見え方の変化とが、スリリングで興奮していた。
成功より成長
成長が会社の軸。掲げるだけの文言ではなく、社長自身が体現し続けている。20年前から追い続ける社長の背中は、ずっと遠い。自身の成長とともに近くなるはずが、もっと遠い。
社長が足を止めないから。
なんなら、年々ペースアップをするから。
そんな社長とのミーティングで必ず聞かれるのは、
「・・・で、何をしたの?」
結果がどうであれ、成功でも失敗でも、あなたが何をしたのか、それで何を得たのか。焦点はいつもココにある。
怠惰な時、考えていること・気づいていることは山ほどあっても、では何を「やった」のか。これが言えないときがある。脳内と机上でだけ迷走している時がある。社長が叱るのは、「やった」がない時だけ。どんな結果であれ、「やった」なら良い。「やった」なら何か学びがあるから。と。
学んだならいいよ、と。
そうやって見守られて、学びと成長が私の軸にもなった20代。
だけれども、だからこそかもしれない。
20年間迷いが生まれなかったわけじゃない。
退職を考えたこともあった。それは、目先の理由はどうであれ、真髄は自分の成長が止まったように感じたとき。
やれることだけやっている毎日に気づいたときも、この山は越えられないんじゃないかと思考が止まったときも。いずれにしても、歩みは止めていなくとも、成長を感じなくなったとき。
それでも辞めなかった理由。
「俺の眼をふし穴にするなよ。」
退職の相談をしたことがある。
満足いくまで頑張り切れなかったし、力不足であることを伝え、でも社長がこのポジションに選任してくれて、信頼してくれて嬉しかったことを伝えた。
「なら、俺が選んだんだから、俺の眼をふし穴にするなよ。」
後半の10年は、この言葉を胸にやっている。
人のためにや、誰かをモチベーションに働くのは、依存のようで違うかもしれない。ただ、社長の為と言うより、自分が長年信じてきた指針に対して、応える自分になりたい。私の20年は、ふし穴の眼をもった社長(指針)と共にあったわけはない。
20年分の感謝
もしも恩返しができるなら、私が自分史上最高に成長した!と実感して胸を張れることだと思う。
信じてくれて、ありがとうございます。私は成長しました。
絶対にコレを言う。21年分の感謝にかわるこの年に。