正木ゆう子から鑑賞を学ぶ4

今日は素早くしてみよう。ここでするのは『現代秀句 新・増補版』の正木ゆう子の鑑賞から鑑賞のなんたるか、詩人のなんたるかを学ぶことである。引用、私の感想、正木の鑑賞、感想の変容、こういう順番でいこうと思う。今日は時間がないので駆け抜けていく。

白梅や天没地没虚空没

永田耕衣

「虚空没」が凄いのは言うまでもないが、「天没地没」は「地没天没」じゃだめだったのか、みたいなことを思った。ただ、すぐに、それだと「虚空没」にリアリティが、いや、「虚空没」の「没」にリアリティがない、みたいなことを思った。リズムとして。ただ、正直「虚空没」が凄いと思っただけで、それ以外は特に何も感じなかった。

正木の鑑賞を見てみよう。正木によればこの句は阪神淡路大震災で奇跡的に助け出された永田が詠んだものなのだという。

あの大惨事を十七音で言い表わすのは至難の技にちがいないが、天も地もそして虚空までが没するというこの七文字の発散するエネルギーは、俳句という形式の底力を感じさせる。そしてこの句が破壊の惨状を伝えるだけでなく、冠された「白梅や」の清らさによって、結局は昇華されていることにも、季語の働きの大きさを思う。
枯草や住居無くんば命熱し
枯草の大孤独居士此処に居る
にしても、阪神大震災という出来事や境涯を超えて、俳句として普遍性を持つに至っている。晩年の耕衣はよく造語を用いたが、大孤独とは耕衣らしい言葉である。耕衣の没したのは平成九年の夏であったから、大震災後、作者は大孤独の中で二年半生きたことになる。

9頁

最後の「作者は大孤独の中で二年半生きたことになる。」はなんだか胸が熱くなるところだが、これは鑑賞かと言われればそうではないように思われる。鑑賞として重要なのは「俳句という形式の底力」と「季語の働きの大きさ」、そして「俳句としての普遍性を持つに至っている」ということだろう。「俳句としての普遍性を持つに至っている」ということについて私はまだ、もしかしたらずっとわからないので置いておくとして、私が気づいていなかったのは「季語の働きの大きさ」である。

私は「白梅」をなんとなくしかイメージできない。見たことがないことはないのだろうけれど、それにリアリティがあるかと言われればない。俳句にはやはり、そういうリアリティが必要なのである。書くにも読むにも。詠むにも。なんというか、これは己の経験不足を恥ずかしく思うようなことであるかもしれないが、私はそれよりも、世界に強弱、リズムがつくことを楽しんでいきたいと思う。そんな気持ちにさせてくれる鑑賞であった。

「俳句という形式の底力」に関してはリズムみたいな視点で少しだけ触れていたと思う。私は。なんとなく「空と君とのあいだ」は「君と空とのあいだ」にならないのだなあ、という、リズムとは関係がない、かもしれない、そんなことも思った。このことと関係して志賀直哉の随筆の一節を思い出した。それを引くことで今回は終わろうと思う。引用は『志賀直哉随筆集』からである。

いや、短いので全文引用しよう。

暑い。今年の暑さは不自然にさえ思われる。庭の紫陽花が木一杯に豊かにつけた美しい花をさも重そうに垂れている。八つ手は葉の指を一つ一つ上へつぼめて出来るだけ烈しい太陽の熱を受けまいとしている。また八つ手の根本に植えられた鬼百合は真逆、これほどの暑さが来ようとは思わなかったろう、ひょろひょろと四、五尺も延びて、今はそれを後悔している。茎は蕾の重みに堪えられず、蕾の尖った先を陽炎の立ち昇る乾いた地面へつけて凝っとしている。それは死にかかった鳥のように見えた。
麦藁蜻蛉が来た。蜻蛉はカンカンに照りつけられた苔も何も着いていない飛石へとまった。そして少時するとその暑さの中に満足らしく羽根を下げた。
自分は一ト月程前、庭先の濠で蜻蛉の幼虫だろうと思う醜い虫が不器用に水の中に潜って行く姿を見た。あの虫がからを脱けてこうして空中を飛んで来たのだと思った。この暑さにも"めげ"ない蜻蛉の幸福が察せられた。蜻蛉は秋までの長くもない命を少しもあせらずに凝っとして暑さを楽しんでいる。およそ十分もそうしていた。其処に今度は塩辛蜻蛉が飛んで来た。その黒い影が地面をたて横に走った。すると今まで凝っと羽根をへの字なりにしていた麦薬蜻蛉が眼ばかりといっていい頭をクリクリと動かした。と思うと急に軽い速さを以て塩辛蜻蛉を眼がけて飛び立った。塩辛蜻蛉は逃げる間がなかった。空中で羽根と羽根の擦れ合う乾いたような音がして、ちょっと一緒に落ちかかった。が、直ぐ二疋はもう一つになっていた。悠々と高く飛んで行く。その方にもくもくとしたまぶしい夏の雲があった。蜻蛉は淡い点になって暫く見えていた。

『志賀直哉随筆集』16-17頁

これに似た気づきとして、私たちは大抵小さなものを大きなものに喩える、という気づきがあるが、今日は時間がない。これで終わりにしよう。推敲はあとだ。準備をしなくてはならない。

意外と整っていた。出先だから志賀直哉からの引用が間違っているかもしれないと怯えているが投稿しよう。特に「直ぐ二疋はもう一つになっていた。」というところ、「もう」って付けるかなあ、と思った。まあ、わからないのでとりあえず投稿しよう。間違っていたら後記で書きます。では。

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