『読んでいない本について堂々と語る方法』について堂々と語る
『読んでいない本について堂々と語る方法』(ちくま学芸文庫)を読んだ。「序」と「結び」、「訳者あとがき」を読んだ。一読した。感想というか、助走というか、そういうものをしよう、書こうと思う。
この本は読書における規範を相対化し、その規範を支えるものを挿げ替えようとする本である。そこでの規範というのは読むべき本を通読してその内容について話せるようにならないといけないという規範であり、その規範を支えるのは読書の価値は客観的であるという信仰である。また、その信仰が堕落したものとして読書をなんとなく神聖視する風潮である。この二つを挿げ替える、つまり読書の価値は主観的であるという信仰へ、さらには主観的であるからこそ神聖なものであるという風潮へ、ピエール・バイヤール、この本の著者は向かわせようとしている。そしてその上で読むべき本を通読してその内容について話すということ自体を変化させようとしている。
しかし、私はバイヤールの向け変えに逆行している。レヴィナスのレトリックごと身につけたいと思っている。福尾匠の言い方を借りるとすれば、フィギュールごと身につけたいと思っている。いや、身につけたいとすら思っていない。身を浸したいと思っている。これは本と距離を取ることでやっとその本の「内なる書物」における位置を明確にすることができるというバイヤールの思想とは少し異なるものだろう。
バイヤールはまるで身体が動かないかのように本を読んでいる、それを推奨しているように見えるが、私はそんな読書はとうの昔に終えている。私は身体を探すために読書をするのである。