断哲一日目
断哲一日目の報告をしよう。いや、考察?をしよう。報告兼考察をしよう。
「断哲」というのは私の作った用語で以下に挙げる文章にある程度詳しく書かれているが、簡単に言えば「断酒」が「お酒を断つ」ことであるみたいに「哲学を断つ」ということである。もう少し具体的に言えば、「哲学書を読まない」ということである。これをやろうとしたのは哲学に甘えていたり狭められていたりするのではないかと思ったからである。
で、今日の朝宣言して、いまは夜の九時十四分、一日目の感想というか、そういうものを書いておきたいと思う。毎日するかわからないしたぶんしないと思うが、とりあえず書いておく。
なんというか、私は無理に哲学と文学を、もう少し細かく言えば哲学的に読み書き考えることと文学的に読み書き考えることとを無理に分けようとしている。そんな感じがする。しかし、別に哲学は勝手になされるしだらだらなされるのだから文学もそうすればいい。文学だけ「やるぞ!」と思ってやるのはおかしいだろう。というかそもそも、そうならないために「断哲」を始めたのではなかったか?お風呂でそういうふうに思った。
ただ、確かに哲学とは違う仕方で生きていこうとすることも大切である。その手がかり、足場として文学を活用したい、そんな心持ちもあるにはある。しかし、その仕方がわからないのだ。だから、とりあえず「哲学書を読まない」というある程度はわかりやすいことをしようとしたのである。だからもっと適当に文学を読めばいい。
性急に効果を求めすぎである。私が言いたいことはそれに尽きる。哲学だって、七年くらい読み書き考えてやっと、だらだらできるくらいに、飽きていると思われるような状態になるくらいになったのだから、そう焦るでない。
『志賀直哉随筆集』でも読もう。さっきまで『漢詩鑑賞事典』という分厚い本を読んでいた。どうも私は王維が好きらしい。「まったりまったりまったりなあ」じゃよ。