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「授業」=「さずけるという言葉を変えよう

その授業に参加しない自由はありますか

Facebookグループの「学校を応援した人の情報交換会」でイギリスの小学校での性教育について、保護者さんからのお話を直接聞きました。日本の小学校での性教育への実情も参加者から聞くことができました。諸外国では宗教や人種の問題もあり、「その授業を受けない」という家庭や個人の選択も認められるそうです。言われれば当たり前のようなことですが、日本の学校で「ある特定の授業を受けない」という選択があるのかどうか…きっとないですよね。

授業ということばを変えよう

別のon-lineでは学校の在り方にふれて「授業」(授:授けるの意味)という言葉や「学習指導案」という型にはめる学習形態は、もはや通用しないのではないかという話を聞きました。明治5年学制が発布され富国強兵のために、敗戦後に憲法が変わっても同じような形態で面々と続いてきた学校教育ではありますが、学習指導案に沿った一斉授業は終焉を迎えているようです。授業という言葉を変えたほうがいいって仰っていました。確かに英語ではClassとかLesson、授けてないですね。

多様で多彩な場を提供したい

繰り返しになりますが、教員ができることは場を提供することと励ますこと。知識の伝授ではありません。多様で多彩な場を提供できる教員チームでありたいです。


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