【1WEEKエッセイ】こころのやりば

エッセイは1週間に1回更新します!

もうすぐ48歳になる。夫は今年50歳になった。2人とももう立派な中年だ。

絶えず歯のどこかは痛いし(歯医者に行っても虫歯ではないと言われる)、可愛がり切れなかった我が子の幼き日を思い出そうと、街中の赤ちゃんを穴が開くほど見つめ倒すのをやめられないし、子どもたちが校庭にこいのぼりを飾りましたというニュースですら「この子らの未来に幸あれ」と涙ぐんでしまうほど涙腺もゆるんだ。

中年であれば組織では中堅、どころではなく要となる存在、という人も多いだろう。経営者、研究者、専門家として実績を順調に重ねている人は、ますます脂がのる時期だ。新聞やニュース、ドキュメンタリーやなんかで、様々な分野で活躍している人たちの自信に満ちた言葉に触れるたび思う。「あー自分はなにやってるんだろう」と。

気づけば職場では20年選手。期待はされない、褒められもしない、叱られもしない。楽ではあるが、何かとても大切なものと引き換えにしているような気がして、ふとした瞬間、急に胸がどきどきすることがある(更年期とか自律神経の乱れかもしれないけど)。

自分は仕事ができるんじゃないか、とうっかり思った時期もなくはない。30歳前後だろうか。強気発言や提案が重要な局面で受け入れられたり、見切り発車がフットワークのよさとして褒められたり…。あのときと同じ人間のはずなのに今は自分の感性に自信がない。動けない。

最近読んだ本によると「人間の感情というのは他の生き物を通過して初めて完了する」のだそうだ。

ほんとうにそうだ、と思う。

うちの子たちは学校から「ただいまー」と帰宅した瞬間、うれしかったこと、悔しかったこと、不安なこと、迷ってること、つまり”自分的に今日一だと思うビックニュース”を話してくれる。こちらは在宅会議中だったり、家事中だったりで上の空のこともあるけど、ふんふん、それで?とリアクションするそばから、「じゃ部屋で漫画読んでくるー」とか「遊びに行ってくる―」と目のまえからぱっといなくなり、肩透かしをくった気分になるが、彼らはそれでいいらしいのだ。

一方の40代。・・・。

人にぱっと伝えたくなるほどのビックニュースが、ない。というか、たいていのことは犬も食わない愚痴であるような気がして、口にすることすらはばかられる。

本当は言いたい、誰かに聞いてほしい。でも何を?このモヤモヤはいったい何?うまく言葉にできないから何が悩みなのかもわからない。

働き方が変わり、生活が変わり、自分たちが使命感をもって何万時間も費やしてきたサービスが本当に必要なものなのかもわからなくなってきた。同僚や友人と飲んでしゃべって、まあいっか明日また頑張ろう!と笑い合える場もない。

そう、感情のやり場が、ない。

どの世代だってきっとモヤモヤはある。子どもだって高齢者だって。誰ともつながれずに孤独に耐えている人がいることを思うと胸がつぶれそうだ。それと比べたら自分なんて大したない大したことない。まだまだ我慢できる。呪文のように自分に唱えてしまう。

じゃあ家の中のもう一人の中年、つまり相方とモヤモヤ対談すればいいじゃん?

というわけにもいかないのがやっかいだ。食卓で。ともに立つキッチンで。車の助手席で。相方が深いため息をついてこっちをちらっとでも見ようものなら”来るぞ来るぞモヤモヤのちょいだし!”と身構え、さっと話を切り替えてしまう自分がいる。こちらが受け止めきれず、モヤモヤが二乗になるのが怖いのだ。耐えなければいけない、頼ってはいけない。そんな呪縛が全内臓にかかってしまっているようで、その呪縛からまず自分が自由にならない限り、人のため息を吸ってあげるスペースなどない。

久々に大学の時の同級生に会った。というか、このどうにも冴えないモヤモヤを誰かと共有したいという下心で私の方から誘った。相方のモヤモヤは受け止めきれないが、友人ならモヤモヤを”交換”できるような気がしたのだ。

さぁ20年来の友人はどんなモヤモヤを抱えてくるのか。顔を見た瞬間わかる、あー、モヤモヤしとる、モヤモヤしとる!なぜかうれしくなってしまう下心は、単純に懐かしい顔を見れたうれしさとごちゃまぜになる。

長年大手に勤め続けてきた友人は、コロナ前に経営企画室に志願し会社のクレドを作っていたが、経営陣と直接対話するうち、玉ねぎの皮をむき続けるような不毛感を感じていたらしい。つまり経営陣には現場が納得するようなビジョンはなかったことを20年以上勤めて初めて知ったことになる。そこにやってきたのがコロナ、そして月に1度出社するかしないかの在宅勤務。

「それでね、今、ハイアーと思ってるんだよね」と友人が言う。「ファイヤー?ハイヤー?なにそれ?」

会話の続きから、それは「Fire=Financial Independence, Retire Early」であり、早期リタイアすることであることが分かった。しかも友人はかなり具体的なプランを練り準備を進めているらしかった。「妻には内緒だけどね」とも。「なにそれ?会社辞めても言わないってこと?」「そう」と友人はいたずらっぽく笑う。会社のシステムの都合で奥さんはオフィス出勤だというから、コロナ禍が続けばそれも可能なのかもしれない。

調べてみるとFireは「お金をいっぱい貯めてからサラリーマンを卒業して悠々自適」という従来の早期リタイアともちょっと違うようだ。比較的少ない資産でリタイアし、生活費を投資額の4パーセント程度に切り詰めて生活することイメージするらしい。高級車や持ち家にあまり価値を感じず、飲みに行く習慣もないという若い世代には受け入れやすいだろう。家族と過ごす時間、好きな時に好きな本を読む贅沢。心惹かれる生き方であることは間違いない。試しに検索窓にFireと放り込むと、「0.1秒でも早く働かない人生を実現したいあなたへ!」という触れ込みで”最強の早期リタイア術”を指南する本が目に飛び込んでくる。思わずクリックしてしまいそうだ。

30代でFireを実践したという著者の言葉がこう紹介されている。

「人生の最期を前にして人々が感じる最も大きな後悔のふたつは、『他人が期待する人生ではなく、自分自身に正直な人生を送る勇気を持つべきだった』、そして『あれほど一生懸命に働かなければよかった』だ」

しかし、さて困った。私たち中年、少なくとも私の悩みどころはここにあるのかもしれない。「他人が期待するもの」と「自分の正直な気持ち」の境目が分からないのだ。

モヤモヤの正体をつかみかけてきたところで、さぁ私も動き出さなくちゃ。でもどこへ?

大丈夫。まだ体力なら少しはありそうだ。行き先はここにに綴りながら考えみることにしよう。コロナ禍にnoteがあることに感謝を込めて。###




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