ジブリに詳しくない人間が、「君たちはどう生きるか」を観てきた。
ー前置きー
私のジブリに詳しくない度
保育園に通っていた頃、よく園内のテレビでトトロがやっていた。
母親はよく私はトトロを見ていたというが、正直あまり記憶にない。
大人になっても、金曜ロードショーでジブリの作品がやっても頑なにみなかった。皆が良いと思うものには乗っかりたくないと思う、捻くれた性格だったからだ。
大人になってからは、名作と言われるものはやはり名作で、どんな作品にも繋がってくるから、見ておいた方が人生楽しいのになと思うようになってきた。
私は三鷹の小学校に通っていた。
三鷹といえば、ジブリの森美術館である。
小学3か4年生の時に社会科見学で行った。
勿論、ジブリはトトロくらいしか知らなかったので、屋上にあるなんか強そうなのはなんだろう、ガンダム的な感じで乗るのかななんて思っていた。
猫バスが可愛かったな、くらいしか覚えていない。
あとそんなに広くなかったこと。
なぜ観に行った
ここ最近悪いことが続いていた。
それに加え、社会人約2年目で、やっと社会人としての生き方がわかってきて、どうやってこれから生きていこうと真面目に考えたりしていた。
まさに、作品タイトルの「どう生きるか」に惹かれたのだ。
また、同タイトルの小説は読んだことなかったので、原作通りの内容でも良いか、といった気持ちだった。(後の観覧前に小説とは一切関係ないことを知る)
いよいよ、観るぞ
ネタバレをされてもあまり気にならない性格ではあったが、どう生きていくか本気で考えていた私は、今回ばかしはネタバレ厳禁と思い、ネタバレを踏まないように数日生きて、対してどこにも行っていない3連休明けに見ることにした。
仕事終わり、21:20からのその映画館で最後の上映で「君たちはどう生きるか」を観た。
正直ジブリは嫌いかもしれない
こんなことが頭によぎった。
そもそも捻くれている人間なので、綺麗事の話は嫌いだ。
火垂るの墓とかは全然違うと思うのだけど(ネタバレで内容は把握した)
独特の綺麗な美味しそうなご飯に、幸せな家族、田舎の良いところだけを切り取った感じ。みんな優しい。みんな協力的。
そんなイメージがあった。(ジブリ好きの人ごめんなさい)
ーここからネタバレー
作画が恐ろしい
序盤の火事のシーンで既に引き込まれた。
最近のジブリはこんなにCGすごいのか。こんなにぬるぬる動くのか。
アナログならではの良さを全面に出して描いているアニメのイメージがあったから、衝撃を受けた。
主人公の視点で火事の現場が映っていく。この火事は綺麗すぎた。
でも、それで良かった。大事な母親が火事で亡くなる。
こんな悲しく辛いシーンを、こんなに美しく描くのか、圧巻だった。
そして、画面の切り替えがうますぎる。
ところどころ出てくる、夢(本当に夢かは確かではない)と現実の切り替え
こんなに綺麗に自然にロマンチックに画面切り替えするのか。流石宮崎駿だ(掌返しコロコロ)
主人公が不憫だから、美しい描写が際立つ
ただ今回、現実をロマンチックに、美しく描く描写に違和感がなかったのは、主人公は普通に可哀想で、悲劇でしかない現実があったからであって、主人公が恵まれて、幸せな様子だったら、きっと私は美しく描かれていた世界にむしゃくしゃしていたと思う。
母親は亡くなって、自分はお父さんの再婚相手と3人で暮らすために、東京を離れて田舎に行くことになる。知らない環境で生活していかなければいけないし、学校では東京から来た金持ちだからと同級生からもよくない顔をされる。
普通に不憫なのだ。
でも主人公は強い。これが後半でも効いてくる。
あちらの世界は残酷で汚くて綺麗
なんだかんだあって、主人公は消えた再婚相手を探しに青鷺を追って、家の敷地内にある怪しい塔の中に入っていく。
主人公が塔に近づくと、自動で電気がブワーッとつくシーンは、鳥肌が立つね。ハリーポッターみたい。(ハリーポッターも1話の主人公がフクロウと電車に乗るところまでしか観ていない)
水になるお母さん、綺麗すぎる。
そこから再婚相手を助けに行くのだ。(あれ?元々はお母さんを探しに行くんだっけ、記憶が曖昧になってきた)
ジブリは強い女性が出てくるから良いね。
死んだような生きているような人間のような形をした黒いものを見て、奴隷や社畜を想起した。あんな人間にはなりたくないなぁ。
可愛い白いホワホワたち、結構グロいというか、人間と変わらないもの食べるんだねっていう。
ここで、宮崎駿は料理を美味しく描くのに、現実世界は不味いものとしてしっかり描いていた矛盾に気づく。
そこからファンタジーで綺麗に描かれていたこの世界にもちらほら現実的な、汚い部分がちゃんと描かれるように。
それでもしっかり向き合う主人公。
正直この世界の最後のシーンと、扉の部分以外はそこまで重要な感じが自分の中ではしなかった。普段通りの宮崎駿ワールドみたいな感じがした。
タイトルの意味
結局、どうやって生きればいいのか。
理由はわからなかった。
そもそも、そういう映画では無かった。
見ている人に、どうやって生きればいいなんて言ってくれるような甘ったるい映画では無かった。
私が思うに、君たち=主人公と、一番最後に生まれる弟なのでは?
向こうの世界の終盤で、世界を守るお爺さん(主人公のひいおじいちゃん?おじいちゃん?)が、この世界を守るために、一日3個積み木を組み立てていけ、そうすれば世界は守られる的なことを言う(あやふやな覚え)
でも、主人公は、できないと答えた。
現実世界で、主人公は自分の利益のために、自分で怪我をして、嘘をついた。そんな人間に綺麗な世界を作っていけるとは思わなかったのでは。
そんな人間が組み立てても世界はすぐ壊れてしまうのではと感じていた?かもななんて深読み。
この時に、積み木を組み立てて、世界を守れる?保てる?のは血が繋がった人間でないといけない的なこともいう。
映画の中で血の繋がっている子どもは主人公と、一番最後に出てくる母親の違う弟くらいしかいない。
だから、世界を守れる不憫な主人公と弟がこれからどう生きていくかが、映画を見ている私たちにも大切で、それは比喩的な表現というか。
身近なものを大切にしていくことで、世界は平和になっていく。とか。
親的な視点(亡くなったお母さん?)で、君たちはどう生きていくのかと言っているのか。
観終わって
宮崎駿に甘ったれんなと言われた気がした。
映画見て、どう生きればいいかわかるわけねえだろって。
どう生きるか、自分で考えて、自分で決める。
この世界はあちらの世界と一緒で、残酷で汚くて綺麗だから。
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