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井戸端会議と、ひとりぽっち

今の住まいに引っ越してきた頃、私には知り合いが一人もいませんでした。すぐに仕事を始めたため、同僚や上司と呼ばせてもらえるような関係の人たちは出来ましたが、それ以上の仲にはなりません。仕事とプライベートは何となく分けて考えています。

この一帯はぽつぽつと民家がある程度で、その他にスーパーが1軒あるくらいの田舎具合です。数件をまとめる役割をされているおうち、ご主人を亡くされてもなお、広い土地で1人自由に畑仕事を楽しまれている方、世間とは少しかけ離れた生活をされている男性。お一人で暮らされているおばあさんが2人。そのくらいでしょうか。

息子がよちよち歩きを始められるようになり、近所を散歩する機会が増えました。といっても、家の庭や道端で、外の世界を楽しむ程度です。
自宅に沿ってゆっくり歩いていると、一人暮らしのおばあさんがお庭で洗濯をしていました。

「こっち来てみな。赤ちゃんなんて久しぶりだわ。」

この一言が、井戸端会議の始まりでした。

何となく居場所ができたようで嬉しくて、毎日通うようになりました。息子の話をしたり、おばあさんの家族の話をしたり、写真を見せてもらったり。
そのうち、お茶菓子が出てくるようになりました。初めは遠慮しましたが、そこは手前ということで。

1週間ほどその時間が続くと、一帯をまとめているお宅のおじさまが仲間に加わりました。そしてそのまた2週間後、少し認知症を患っている一人暮らしのおばあさんも加わりました。大人4人、子ども1人の空間です。

みんなでお菓子を持ち寄って、縁側でお茶を飲みながら世間話をする時間が、仕事が休みの日の私にとって、何より心地のよい時間でした。

数ヵ月後、あのコロナが流行し始めたその直後、認知症を患っているおばあさんが感染、発症してしまい、入院されてしまいました。みんなで心配していましたが、入院生活中に転倒して自由が利かなくなり、あっという間に、そのまま亡くなってしまいました。

外で洗濯をしていた、井戸端会議の場所を提供してくれていたおばあさんも、次第にご自身で出来る身の回りのことが少なくなっていき、老人ホームへと転居されました。

一帯をまとめているおじさまは、ご家族で新しい事業を始め、忙しい日々を送っています。

何も変わっていないのは私だけ。ひとりぽっちになってしまいました。
現在は病気のことがあり仕事をやめ、専業主婦である身です。洗濯をして、掃除をして、買い物に行き、料理をして、洗い物をして、明日の用意をして。

私にとってはとても窮屈な、退屈な、平凡な毎日を送っています。そんな私をnoteは救ってくれています。ありがとう。

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