障害と向き合いながら生きる


noteで同じ病と向き合っている方の記事を見かけたことから私も自分のことを少し書いてみることにした。これは私が精神疾患と発達障害が明らかになるまでのことと、障害と向き合う選択をしたきっかけである。









高校2年生の時いじめを受けたことから通い始めた心療内科。

その時についた診断は神経症。いじめが落ち着くにつれ心身ともに落ち着くようになり病院に通うペースは週に一回から1ヶ月に一度になった。


そろそろ通院もストップして良さそうだとなっていた時、
家の鍵を閉めたか何度も確認をしたり、SNSを見ていると誰かを中傷したのではないかという加害恐怖に襲われ何百回も自分の発信を見直す、出かけるとお店のものを傷つけるかもしれないと、自分の手を強く握りしめて商品に触らないようにしないといけなくなる、試験で誤字脱字がないかが不安になり異常なほど繰り返し同じ場所を確認し、全問解くことが出来なくなった。

まだまだ他にあるけれど、これらの症状が現れて強迫性障害と診断を受ける。手洗い恐怖はなく、私の場合加害恐怖がとても強い。


大学生になってからは就職活動に卒業論文、ボランティア、アルバイト、勉強、検定勉強の毎日に自分が分からなくなる。過食に走ったり、突然泣いたりODをしたことから明らかに私の状態がおかしいと周りから諭され、病院に行ってついたうつ病の診断。


1ヶ月だけ大学を休むことになるも、1歩も外に出られず、お風呂も入れず、十何時間も眠ったり過食に走るようになる。体重は年間で10数キロ増えていた。


大学卒業後、
急に朝まで動き回る、落ち着きがなくなり常にハイテンションでなんでも出来るという気持ちで過ごすようになる。逆にうつの典型的な症状が出ることもあり、これらが交互に来るようになる。
急に元気になった、躁状態の自分がおかしいと気づき医師に相談した結果、双極性障害(Ⅱ型)と診断される。


そして2024年の秋、強迫性障害と双極性障害の症状が悪化し、精神科医療センターにかかる。
そこでなんとなく話した、「大きな音にとても敏感である」ことや、「こだわりが非常に強い」ことからASD(自閉スペクトラム症)の可能性があるとのことで検査を受けることになり、結果として発達障害であるとの診断であった。

ここまでざっくりと簡単に今までの事を書いたが、私の時間は高校2年生で止まっていた。
自分が普通ではなくなる感覚、涙が止まらなくなったり、急に無気力になってできないことが増える、人の顔色を伺う癖がつく。何が何だか分からない、今もそうである。


2024年年末に、派遣先で大きなミスをしたことから再びODをし、入院をした。意識がちゃんとした時は生きていることが嫌になった。


それでも今こうしてnoteを書いている。それはきっと少しずつ自分と向き合おうという気持ちになってきたからだと思う。



友人はとても少ないけれど、退院してまもなく今の私をそのまま好きだと言ってくれる恋人ができた。私の唯一の救いであり、支えである。


一度、障害や疾患があることを少し話したことがあるが、一緒に向き合わせてほしい。そう言われたことをずっと覚えている。
そしてnoteを始めてから、様々な障害や疾患と向き合っている方々をお見かけして、私だけが自分や誰かを傷つける選択をする(=死)ことは決してあってはならないと思うようになった。
これが、私が障害と向き合う決意をしたきっかけである。


現在は日雇いで働いているが周りの支えもあり、障害者雇用で就職活動を始めたばかりで今度やっと1社面接を受ける予定である。

正直不安でしかないけれど、簡単に諦めることはせず、でも学生時代の頃のように頑張りすぎずにやっていきたい。

人生とは急に幸せが訪れたり、逆に真っ暗で何も見えなくなる時が訪れたりの繰り返しで、いつ何が起こるかわからないものだけれど、今なら言える。私は絶対に生きてやると。


ここまで読んでくださりありがとうございました。
あなたにいいことがありますように。







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