アメリカン・ミュージック・ヒストリー第8章(1970年代全般・・・その8)
10.北東部と中西部(ハートランド)のロック
実はこの当時、ハートランド・ロックと言う言葉は、ほとんど聞いたことがなかったのですが、現在では使われているようなので70年代ロックを全体的に俯瞰し整理するためには便利なので、新たに項目を設けました。
ハートランド・ロックとは、一般的にはアメリカ中西部と南部の一部を含む、比較的労働者や農民の割合が高い地域のことで、大統領選挙のカギを握ると言われる「ラストベルト」地域も含め、これらの階層の喜びや悲しみをロックの歌詞とサウンドにのせた音楽のことを指しています。
結構最近のことなのですが、70年代のアメリカン・ロックをわかりやすく整理するために(かえってマニアックになると言う意見もあるかも知れませんが)、最も一般的だと言われている、アメリカを4地域に分類する国税調査局の地域区分方法によると、
① 北東部(ニューイングランド6州+ニューヨーク、ニュージャージー、ペンシルバニアの3州)
② 中西部(5大湖周辺の5州+ミネソタ、アイオワ、ミズーリ、南北ダコダ、ネブラスカ、カンザスの7州
③ 南部(メリーランド、デラウェア、東西ヴァージニア、南北カロライナ、ケンタッキー。テネシー、フロリダ、ジョージア、アラバマ、ミシシッピー、ルイジアナ、アーカンソー、テキサス、オクラホマの16州)
④ 西部(ワシントン、オレゴン、カリフォルニア、ネバダ、アリゾナ、ニューメキシコ、ユタ、コロラド、モンタナ、アイダホ、ワイオミングの11州)
となっています。
このように分けると、70年代のアメリカン・ロックは、西部地域と南部地域が圧倒的で、今までに登場してきた、ほとんどアーティストがこの両地域ですね。
まあ考えてみると当然のことで、今まで説明してきたルーツ系音楽(ブルース、ゴスペル、ジャズ、ヒルビリー、カントリー、ウェスタン等)は、すべて南部生まれだし、ロックン・ロールも南部メンフィスで産声を上げたわけだし。
ただ、今回敢えて4地域に分類したのは、今まであまり日が当たっていなかった北東部と中西部のロックにも、少々触れておきたかったからです。
と言うのは、南北戦争における北軍州の北東部と中西部には、ロックン・ロールは根付きにくいと言うことなのだと思いますが、好き嫌いは兎も角、北東部でブレイクした代表的なグループと言えば、一応ハード・ロックのグランド・ファンク、マウンテン、そして時代を下るとキッス、エアロ・スミス、ボストンくらいかなと思います。これについて考えてみると、60年代のところで触れたとおり「フォーク・リバイバル」は、この北東部が震源だったので、65年にボブ・ディランがエレキギターを手にして聴衆は基より、フォークの先輩たちからも(なので後ろからも)弾が飛んで来たくらいロックン・ロールサイドとは相性が悪かったわけですから当然かも知れませんね。
元来、ブルース、リズム&ブルースは、黒人労働者階層、そしてヒルビリー、カントリーは、白人労働者階層の音楽だったので人種の違いはあれ、黒人・白人と言った差別意識以上に、お互いにプアー層だと言う連帯意識の方が強く、互いの音楽が合体して誕生したロカビリー、ロックン・ロールは、南部ではすんなり受け入れられたのだと思います。
一方、北東部の白人中産知識層は、田舎者扱いをしてきた南部のルーツ音楽であるブルース、ジャグ、ヒルビリー、カントリー、ブルーグラス等のアコースティック音楽全般を「フォークソング」(ここで言うフォークソングは、伝統的なブロードサイド・バラッドやピート・シーガーを初めとしたプロテスト・フォークに端を発するもの)という名のもとに受け入れ、都会人が歌い演奏することでフォーク・リバイバルが湧き起こってきたのではないかと、個人的には、思っています。
そして、今回のテーマの中西部のハートランド・ロック(ここにカテゴゴリーされている、ブルース・スプリングスティーン、ボブ・シーガー、ジョン・クーガー・トム・ペティ、ジョン・ハイアット等は、どちらかと言うと80年代にかけて大ヒットアルバムが出た印象が強いのですが)についてですが、ブロードサイド・バラッドやプロテスト・フォークのような社会性、政治性等の歌詞に重きを置いたフォークソングを根っこに持ったロックと言えそうな気がします。
こうしてみると、ボブ・ディランの影響が大きそうですが、ブルース・スプリングティーンが、「第2のディラン」と呼ばれていたことを考えるとあながち間違いではなさそうですね。
そして、この章の最初にお話しした、ザ・バンドの「ラスト・ワルツ」とイーグルスの「ホテル・カルフォルニア」と言う、クラッシック・ロック終焉の象徴的なアルバムと入れ替わるように、ブルース・スプリングティーンの「明日なき暴走(ボーン・トゥ・ラン)」が1975年にリリースされました。このアルバムは、ブルースのライヴを観た評論家ジョン・ランドーの「私はロックン・ロールの未来を観た」という言葉と共に、次の時代のアメリカン・ロックの幕開けとなったのかも知れませんね。
白状すると、当時は歌詞の重要性を理解できなかったので、あまりピン
と来ていなかったのですが、アメリカの歴史や文化などの理解が深まる
と共に奥深さが心に沁みるようになってきました。
だからこそ、第2のディランと呼ばれたブルース・スプリングティーンのロックは、労働者層、中産知識階層両方に支持されたのだと思います。
こうして書き進めてくると、この時代の北東部や中西部は、どちらかと言うと黒人音楽(まあ、ディスコは、ビージーズを初めとして白人も熱狂してましたが)や、伝統的にもポップ音楽のイメージが強かったので、ロックという意味では、あまり登場してきませんが、ニューヨークのビリー・ジョエルや文字どおり地域名のボストン、アメリカじゃなくてカナダだけど、バックマン・ターナー・オーバードライブ(元ゲスフーのランディ・バックマン)等は、大ブレイクしました。特に、日本でもビリー・ジョエルの「ストレンジャー、素顔のままで、オネスティー」等は、男女問わず大人気でした。