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パルチザンが灯す

生あくびを噛み殺して夜道を歩いていると、Kはすっぽりマンホールの穴へ落ちる。闇の掃除機に吸い込まれるようだ。幸いケガはないものの、ちょうど人間一人ぶんの垂直通路には梯子がない。絶望的な思いで、Kは円く切り抜かれた夜空を見上げる。仕方なく、大きな下水管を歩き出す。コンクリートの筒壁が、くるぶしまで浸る水音を反響させる。ときどき洗濯石鹸の臭いが漂う。しぱらく歩いたところで、唐突に十数人の集団と出くわす。

「誰だっ?」
「一人か?」
「合言葉だ」
「合言葉を言え」

Kは矢継早の詰問に尻込みする。「あのう、落っこちて……」。場違いなところへ来たのは明らかだ。十数人全員が黒服を着ている。ボスふうの山高帽を除き、みんな皿のようなユダヤ帽を被っている。手には100均ライター。照明の代わりというより、どこか儀式めいていて、没個性の黒服が、各々なにか発言するたびに自分のライターを点け、話し終わると消すのだ。「知り合いは?」「殺っちまうか?」「誰か告ったのかも」「まあ、落ち着け」。声が交差するたび、あちこちでボッと青白い炎が灯る。それぞれの顔を一瞬だけ照らし、連発花火のようにリレーされる。

「仕方ねぇ。冥土の土産に教えてやる!」
「いいえ、結構です」
「我々がいま世間を騒がせる放火犯だ!」
「ええっ?」
「同時多発的、連続放火事件」
「新聞ぐらい読め、タコが!」

この半年、街中を震えあがらせ、街中を不眠症に陥れる連続放火事件を、知らない者などいない。Kは目を丸め、生唾を呑み込む。「ハハハ、警察どもの面目は丸つぶれよ」「オレたちゃ絶対に捕まらねぇからな」。二人の黒服がKを羽交い絞めにする。こめかみに銃口が突きつけられる。「よーく覚えておくんだな、どうせ警察なんて奴らは」、そこで全員が唱和、一斉にライターが点く。

「下っ端野郎には?」
「脳がねぇっ!」
「お偉方には?」
「玉がねぇっ!」

進退きわまり、咄嗟にKは口走る、「あのう、実は、仲間に入れてもらいたくて」。黒い一団は顔を見合わせる。「友達がいないんです」とK。空気が張り詰め、山高帽はちらっと腕時計を見やる。「面白いじゃねぇか。それなら、おまえにチャンスをやる」そう言って、ぽんと使い捨てライターを投げ寄こす、「一回きりのテストだ。いまからそいつと火を点けてきな!」。とびきり大柄な黒服を御目付役に指名される。そして決行時間を再確認、「今夜は2時間後の南へ7軒目だ」。暗闇のなかで顎の線が上下に動く。頷いたかと思えば、十数人はすぐさま散会、見事な統率力で四方へ散る。

行くぞ、と黒服に促され、ふたたびKは下水管を歩き回る。ひとまず命拾いをしたことだけは確かなようだ。「2時間後、って何ですか?」おずおず訊くと、腕っぷしの強そうな黒服が「2時間、めくら滅法に歩く。休みたけりゃずっと座っていてもいいさ」。まだ小首をかしげるKに、黒服はさらに説明を続ける。2時間、という数字も乱数表に従ったまでのこと、完全な恣意性に委ねられた放火手段を明かすのだ。各自が乱数表の示す時間を歩き回ったところで、最寄りのマンホールから地上に出る。またまた乱数表の示す軒数の建物を数える。その任意の家こそが、今夜の標的。

「標的は、最初に決めない?」とK。

「公正性を担保したうえでの、偶然の結果だな」と黒服は言う。

そんなに下水管は長いのか、と問えば、もちろん、と黒服は断言する。古い街の歴史と重なるように、地下道は何層にも縦横に枝分かれするらしい。古くはカタコンベの昔から、幾度かの戦争で掘られた地下壕・排水路、新しくは地震後に復興した下水整備に至るまで、地下道は無数に伸びている。しかも、蜘蛛の巣のように張り巡るため、現在のもっとも新しい街の貌からは想像もつかない。地下全体を把握する者はいないのだ。街の地図の下にはまた別の地図があり、寸断された過去が折り重なって、ただの無意味さだけが残る。黒服は、霧の夜に小舟を漕ぎだす密航者のように笑う。

「それに、警察なんて所詮あっち側だ」
「あっち?」
「この世には二種類の人間しかいねぇ」
「 二種類?」
「夜にぐっすり眠れる人間と、そうでない人間さ」
「奥が深そうだ」

「イーロン・マスクはぐっすり眠れると思うか?」
「大金持ちですよね」
「持つ者と持たざる者、の話だよ」
「トップ10%が、世界の富の70%以上を占める?」

二人はさまよう。時間を忘れるほど、迷路の地下道はやたら滅多に入り組んでいる。徐々に細くなる管を抜けもすれば、ジョイント部の上下道を移動して、水滴が滲んだ土壁にぶつかりもする。汚水に鼠の死骸が浮いている。右折を四回も繰り返せば、元の場所に戻るような錯覚に陥る。黒服に組織の秘密を教えられ、Kはもはや引き返せないことを悟る。ここまで秘密を明かされた以上、選択肢は二つしかないのだ。何度か、別働隊の黒服たちとも擦れ違う。「下っ端野郎には?」と合言葉を求められ、「脳がねぇっ!」と即座に返す自分自身にKは驚く。

2時間が過ぎる。腕時計のアラームを止め、「よし、今夜はあのマンホールだ」と黒服が指差す。発火の点検なのか、ライターの火をくゆらせる。くゆらせるのではなく、実際は震えているのだ。マンホールの真下にある梯子から、二人は伝い上がる。重い蓋をズラセ、押しのけ、夜の地上に影を溶け込ませる。黒服は汗びっしょりだ。「毎回、この瞬間が堪らねぇ、おまえも今に病みつきになるぜ」「公正性を担保する、でしたよね?」。黒服は深く頷き、ルールどおりマンホールから南を向いて建物を数える。…… 5、6、7軒目。

「我家に当たれば?」とK。

「持たざる者が、いちばん眠れる」黒服は吐息をつく。

そして、胸を撫で下ろすかのようにボッと安堵の火を灯す。いっぱしの依存症の相貌を、ライターが青白く浮かばせる。








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